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●全日本プロレス「オープン選手権」と猪木VSビル・ロビンソンの1975年。その1 [「言葉」による革命]

●全日本プロレス「オープン選手権」と猪木VSビル・ロビンソンの1975年。その1

末尾ルコ「プロレス観戦で知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしがティーンエイジャー(笑)の頃にアントニオ猪木の熱烈なファンだった最大の理由は実に明白で、「異種格闘技戦がめちゃめちゃ好きだった」からです。
今振り返っても猪木の行った異種格闘技戦は、アリ戦やアクラム・ペールワン戦のような、ある意味現代のMMAよりもスリリングな内容の試合もあれば、ミスターX戦のような、プロレスとしても大失敗に終わった試合もあり、しかし考えてみれば、「異種格闘技」と同様に銘打った試合でも、「まったく内容・内実が違う」のが猪木の凄さだったという見方も可能です。
ただ、そんな異種格闘技戦を華々しくスタートさせたウィリエム・ルスカ戦の頃は高知で新日本プロレスを観ることはできなかった。

まあそれはさて置いて、1975年にはアントニオ猪木の名勝負の一つとして語り継がれるビル・ロビンソン戦が行われているわけですが、もちろん高知ではテレビ観戦できなかった。
『週刊ファイト』などで「猪木VSビル・ロビンソン」を「世紀の対決」だと盛り上げていたけれど、ビル・ロビンソンの試合も観たことなかったわたしはその重要性に気付かなかった。
まあ、まだ頑是ない少年だったという時期でもありますが。
その代わりではないけれど、全日本プロレスがぶち上げた「オープン選手権」には心が躍った。
入場式に、ドリー・ファンク・ジュニア、ハーリー・レイス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ドン・レオ・ジョナサン、ダスティ・ローデスら豪華な「世界の強豪レスラー」がずらりと揃う。
あのワクワク感は、「世界の強豪」という幻想が無くなった平成のプロレスファンには理解し難いところでしょう。(つづく)


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いっぷく

猪木をセメントで黙らせようと、鉛筆ナメナメ猪木の対戦相手まで順番を決めていたのに、猪木が気づいてそれに乗らなかったというオープン選手権ですね。そういうエピソード自体昭和プロレスらしくて私は好きです。
しかも顔ぶれは面白かったですが、力道山時代のワールドリーグ戦のように、総当たりではない不透明なところも良かった。怪我という名目で途中帰国の人たち(レイスとか)が、みんなちょうど1週間の参加(ガイジンは週給のため?)というミエミエのところもマニアにはたまりません。
昭和プロレスのマニアって、ウソでも本当でも、深読みして真相を知りたがるので、そういううさんくささやミエミエのことが裏付けとして大好きなんですよね。
猪木とロビンソンは、ミスター高橋は絶賛していますが、宮戸優光は、悪い意味でのガチで試合としては失敗作だと言ってますね。要するに、お互いの技を受け合わない試合だったというのです。宮戸はロビンソンを食べさせていた人なので、説得力あると思いました。
ハロースポーツの件ですが、私はデストロイヤーの登場した時はたぶん観ていないので、似たような企画の番組が何度か制作されたのではないでしょうか。
新日本プロレスにとって、テレビ朝日は坂口征二が持ってきた途中からのスポンサーですが、全日本プロレスにとって日本テレビは、最初から株を持っている親会社ですから、専属タレントを使って自局の番組作りに貢献してもらおうということだったと思います。
デストロイヤーが「うわさのチャンネル」に出たり、ジャンボ鶴田が「俺たちの旅」の最終回に出たりしたのも、その一環でしょうね。
サンダー杉山が、馬場とケンカ別れしてからも、全日本プロレスが杉山の経営するホテルを使い続けたのは、馬場の罪滅ぼしの気持ちもあったと思いますが、何より杉山が、全日本退団後も「おはようこどもショー」「底ぬけ脱線ゲーム」など、日本テレビの番組にレギュラーで出ていて、日本テレビと切れなかったことが大きいのではないかと思っています。
by いっぷく (2017-01-22 01:17) 

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