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●ジャイアント馬場は初期MMAで無敵だったか?ジャック・ブリスコ戦を観ながら。 [「言葉」による革命]

●ジャイアント馬場は初期MMAで無敵だったか?ジャック・ブリスコ戦を観ながら。

末尾ルコ「格闘技とプロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

ある夜のこと、YouTubeを訪問すると、「あなたにおすすめ」のところに『ジャイアント馬場VSジャック・ブリスコ』のNWA世界戦が。
(ほほう・・・)
などと思いつつ、しかしその横には「ジャック・ブリスコVSボボ・ブラジル」なんていう魅力的なカードがあるではないか?
(これはどちらを観たものか・・・)
とわたしはしばし迷ったが、(ここはオーソドックスに)と「馬場VSブリスコ」を選んだ。
一見してあらためて驚いた。
(馬場、でけえええ!)
ブリスコが子どものように見える。
実はわたしが子どもの頃、既にそれは全日本プロレスであり、日本プロレス時代に最盛期だった馬場の試合ぶりは子どもたちにもギャグのネタにされることが多かった。
外国人レスラーたちが馬場に付き合ってあげている・・・そんなイメージが強かった。
ところがブリスコ戦、巨体の馬場がブリスコに「付き合ってあげている」ように見えるのだ。
馬場に「セメントマッチ」というイメージは似合わないが、もしこの時、ブリスコ相手にそれをやったら、いきなりぶっ飛ばして終わり、つまり「秒殺」するのではないか。
そんな確信さえ抱いた。
それはつまり、現在の技術的に進化したMMAの世界では難しいが、初期の大雑把なUFCであれば、ほとんどの相手に対して「ぶっ飛ばして秒殺」ではなかったか?
あの太い脚は、ホイス・グレイシーのタックルくらいでは倒せそうにないし。
なんてことを想像したのでした♪

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いっぷく

ブリスコは、あの試合でNWA世界タイトルを馬場に預けて合計6000万円を日本テレビから貰ったと自伝で暴露していますね。
日本では発売されていないジャック・ブリスコの自伝『BRISCO』によると、
・交渉役はテリー・ファンクだった
・当初は1万ドルという話だったが、ジャック・ブリスコはNWA本部に供託金を2万5000ドル預けており、1万ドルのために2万5000ドルを失うようなことはできないと断った。
・数日後、テリー・ファンクは「2万5000ドルのことは心配するな」と言ってきたので、ジャック・ブリスコは、具体的に移動費用は供託金と同額。それ以外に通常のギャラ(2000ドル)と馬場戦にはその4倍のギャラと滞在費用はすべてドルで欲しいと要求した
・ジャイアント馬場がそれを受け入れたことを確認したジャック・ブリスコは、サム・マソニック、エディ・グラハム、ジム・バーネットらにタイトルを移動させることを告げた
と書かれています。
でも、私はそうした背景に関係なく、試合自体素晴らしかったと思います。
ブリスコには足四の字を出させる→3本目は足技を使えない→ジャンピングネックブリーカーでフィニッシュとする→32文は1本目に出しておく。
3本勝負ならではのストーリーです。
ジャイアント馬場が膝にサポーターもせず、32文をサッと出せたのはこの頃まででしたから、そういう意味では世界チャンピオンのベルトを巻くことがふさわしい最後のチャンスだったと思いますので、高いかどうかはわかりませんが、お金も無駄遣いではなかったと思います。
ブリスコは、やはり世界チャンピオンとしては少し非力だったかもしれませんね。
NWAタイトルをテリーに取られてからは、2度と返り咲くことなく、ブリスコ兄弟としてローカルタッグチャンピオンで余生を過ごしましたから。
by いっぷく (2017-02-06 01:40) 

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