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●ジョー樋口という快楽とレッドシューズ・ドゥーガンという謎の存在。 [「言葉」による革命]

●ジョー樋口という快楽とレッドシューズ・ドゥーガンという謎の存在。

末尾ルコ「プロレスと格闘技の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

今現在、わたしにとって最も馴染みあるレフェリーは、UFCのビッグ・ジョン・マッカーシーだ。
第1回UFCからずっとメインのレフェリーとして活躍し続けている。
第1回UFCは衝撃的だったが同時にパチモン臭もプンプン漂っており、そこでレフェリーを務めていたマッカーシーも十分にパチモン臭かったけれど、時を経てUFCもメジャーとなり、マッカーシーも何やら「偉い人」のように見えてきたから、人間、継続が肝要である。
今の新日本プロレスのレフェリーは誰かと問われても、すぐに名前は出てこない。
かつてはもちろんミスター高橋だった。
しかしかつての新日本プロレスは、ビッグマッチの際に、「レッドシューズ・ドゥーガン」というレフェリーを招聘して試合に権威を付けようと試みていた。
「世界的名レフェリー」という触れ込みで、「アントニオ猪木VSビル・ロビンソン」などを裁いたレッドシューズ・ドゥーガンだが、プロレスという競技のスタンスを考えれば、「名レフェリーとはいかなる存在であるのか」と興味深いところではある。
しかしこと「おもしろさ」という点においては、全日本プロレスのジョー樋口はプロレス史上屈指ではないか。
あまりにもあけすけな「狂気攻撃見て見ぬふりスキル」、流れるようにスムーズな「乱闘巻き込まれスキル」、さらに流れるように、リング上で「こと」が済むまで継続する「ジョー樋口の狸寝入り」・・・これぞ、エンターテイナー!
これを読んでまだ、「プロレスなんて、馬鹿馬鹿しい!」と感じるならば、きっとその人の感覚は「馬鹿馬鹿しい」という可能性を考慮に入れるべきである。

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いっぷく

レフェリーは、不穏試合の場合を考えるとレスラーよりも強い人が望ましく、だけど絶対にそれを客に見せてはならないという結構ストレスの貯まる仕事ですね。それと、審判ではなくて演者のひとりで、しかもコンサートマスターのようなものですから、プロレスの試合の作り方を知らないと絶対につとまらないですね。
沖識名は、シャツを破られても一切抵抗しませんでしたが、力道山がかなわなかった力道山の師匠ですし、ジョー樋口も元レスラーで、息子が反抗期のとき、力で黙らせた後、倒れている息子のカラダに治療費として黙って金を落としたというトンデモないエピソードもありますし、タイガー服部も喧嘩が強いらしいですがそんなそぶりも見せませんでしたし、ミスター林は全日本をクビになった後、ジャパン女子でレフェリーをやってましたが、デビル雅美にからかわれる冴えない役どころでしたね。

全日本は、ガイジンの価値を落とさない試合としての結論が両リンや没収試合だったので、ジョー樋口だけでなく和田京平も小気味よく悶絶してましたね。当時は、ジョー樋口が倒れると、場内は「あーっ(またそれか)」とため息が漏れていましたが、今はニコ動などのコメントを見ると、それを様式美のように懐かしんでいますね。やっとわかってきたというか、しょせん昔の動画だから軽い気持ちで見ているのか、少し見るところがかわってきたんでしょうかね。ニコ動のコメントは、当時のプロレスの再評価という意味で参考になります。

レッドシューズ・ドゥーガンは、馬場がロスでキニスキーからインターを奪回した時のレフェリーですね。第14回ワールドリーグにも来ていますが、ロスのマイク・ラーベルが重用したレフェリーで、それゆえ、NWA反主流派として、全日本のリングには上がらなかったですね。
試合が決まると、ピョンピョンリングの四方を飛び跳ねてジャッジメントを観客に知らせるパフォーマンスぐらいしか印象に残ってないですが、当時はそれだけでも、目立つレフェリーだったんでしょうね。それに、ジャッジ自体はどっちかに加勢するのではなくて中立だったので、レフェリングも評価されていたのでしょう。そうしてみると、ジョー樋口のレフェリングが、いかに芝居がかったコンサートマスター然とした仕事ぶりだったかということがわかりますね。
by いっぷく (2017-05-20 01:24) 

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