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●力道山時代の「悪魔が微笑んだ」壮大な「プロレス」という実験。 [「言葉」による革命]

●力道山時代の「悪魔が微笑んだ」壮大な「プロレス」という実験。

末尾ルコ「プロレスの話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

力道山時代の凄さというのは、「大方の日本国民注視」の中で「プロレス」を立ち上げ、試合を行っていったことに他ならない。
力道山時代の日本プロレスほど一つの国の国民に注視されていた「プロレス」が他にどれだけあっただろうか。
それは日本における「テレビの登場」と時代を同じくしたために、正しく「凄まじいもの」となった。
テレビとの相乗効果によって爆発的な人気を得た存在としてはプロ野球も挙げられるが、言うまでもなく、プロレスとプロ野球では本質的事情がまったく異なる。
プロ野球が単に(と言うほど単純ではないのだろうが)「スポーツ」を国民に普及させて、人気を高めていくというものだったのに対し、プロレスの場合は、

「実はスポーツとはかなり異なるものをスポーツとして普及させる」

という極めて捻じれた作業を圧倒的スケールで推進するものであり、やや極端な表現を使えば、

「国民を騙して、国民的娯楽となり、国民的英雄となる」

作業だったわけで、これは壮大な実験だったわけであり、しかも大成功を収めたというとてつもないスケール感を考えれば、今のプロレスがセコく見えてしまうのは致し方ない。
ただ、それが成功した大きな要因は、「国民の大部分が(今で言う)情報弱者だった」現実である。
その経過を多少強引に結び付ければ、太平洋戦争時の国民の熱狂に似たものも見い出せるかもしれない。
いすれにしても、日本国内に限ってだけれど、力道山時代のプロレスには「悪魔が微笑んでいた」と言える状況があり、そこから日本のプロレスが始まった歴史的事実を常に踏まえていたいなと思う。

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いっぷく

プロレスは美しい容姿と肉体、そして強烈なキャラクターを持つ選手が、常人には決してできない攻防を披露するエンターテインメントである、ということをメディアが強調していけば、その後の日本プロレス史の「歪み」やマニアの「ひがみ」などもうまれなかったでしょうね。
フィギアスケートやシンクロや新体操など演技そのものに競技性がある世界と違い、プロレスは結末に試合の勝ち負けがあるため、試合結果⇒勝敗⇒強弱を国民が見てしまうのは仕方なかったと思うのです。
あとはやはり力道山の報道管制も大きな理由としてあると思います。
都合の悪いことは報じないどころか、力道山が言ったことは虚偽とわかっても質問も反論もせずそのまま記事にする、というやり方だったので、国民も疑いようもなかったんでしょう。
力道山は、出自のことも、自分がレスラーとしてアメリカでは無名であることもいっさい書かせなかったのは、もともとコンプレックスの強い人で、それを糊塗するためにフィクションを貫くことも厭わなかったんでしょうね。
また力道山自身が、その区別をつけていない面もあり、プロレスはエンターテイメントのはずなのに、ときどきリアルファイトを持ち込んだこともさらに混乱をうんだのかもしれません。
それはやはり、自分が本場アメリカでは無名の華のないレスラーであることを自覚していたので、アメリカ直輸入のプロレスでは自分はエースレスラーとしてやっていけないから、自分の地位を守った上で、日本人にはつぶしあいのリアルファイトをやらせていたのかな、という気もします。
若手からすれば、そこで勝ち上がることが大事だと思っていたのに、そこに、本場アメリカで認められ、パフォーマーとしての振る舞いを身につけた馬場が帰ってきて事実上ナンバー2になってしまったことで、豊登以下のレスラーが、「俺たちにリアルファイトで勝ってないのにセミやメインに出るのはおかしい」という嫉妬を抱いたのかもしれませんね。
馬場は日本プロレス時代、道場に行かなかったそうですが、嫉妬とジコマンできわめっこをやっているところに行っても何も得にならないと思ったのでしょう。
by いっぷく (2017-07-09 01:44) 

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