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●北原ミレイ「石狩挽歌」と『ゴールデンカムイ』の「殺人鬼 辺見」の関係、はたまたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの1975年。 [「言葉」による革命]

●北原ミレイ「石狩挽歌」と『ゴールデンカムイ』の「殺人鬼 辺見」の関係、はたまたダウン・タウン・ブギウギ・バンドの1975年。

末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

北原ミレイという名前は知っていたが、その歌に接したことはあっただろうか。
あったかもしれないが、その記憶はない。
だから名曲とされる「石狩挽歌」を自覚的に聴いたのは、7月11日の『うたコン』が初めてだと言える。
北原ミレイの歌唱は力と魂が籠り、「石狩挽歌」には、労働する人間、そして人生を生き抜こうとする人間が描かれている。
なかにし礼が作詞し、浜圭介が作曲した「石狩挽歌」の舞台は、石狩の海の鰊(ニシン)漁であり、この歌を聴きながらわたしが自然に連想したのが、『ゴールデンカムイ』の中の「殺人鬼 辺見」のエピソードだ。

ポップで愛くるしく気持ちの悪いおっさんとも言える風体とキャラクターの辺見和雄は100人以上を殺害した異常殺人者だけれど、『ゴールデンカムイ』の多くの読者はその姿に好感を持ち、何度も読み返しているに違いない。
全エピソードの中でも屈指の変態的愛くるしさを持っている辺見和雄が働いていたのが鰊漁であり、「ヤン衆」の一人だった。
「石狩挽歌」には「ニシン」「ヤン衆」などという言葉がふんだんに使われ、(なるほど、このような世界か)という感慨に心地よく捉われる。

「石狩挽歌」のようにリアルな人間や汗が描かれた歌がヒットしたのは1975年だという。
そこで1975年にヒットした歌を調べてみたが、子門真人「およげ!たいやきくん」のやたらな大ヒット、ああ、バンバンの「『いちご白書』をもう一度」もこの年だったのか、などと思いながら、やはり目を引いたのは、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と「スモーキン・ブギ」。
この当時のダウン・タウン・ブギウギ・バンドの活動は日本ポピュラー音楽史の中でも極めて重要な出来事の一つであり、それにしても「スモーキン・ブギ」とか、今テレビで歌ったら大変ですな。

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いっぷく

北原ミレイは、当時歌番組が色々ありましたが、ずいぶん見ましたね、
当時は子供だったので、最初日吉ミミと区別がつかなかったのですが、歌詞を精査して違いに気づき(笑)ました。
2人ともNHKの評価は高くなく、日吉ミミは「男と女のお話」を70万枚売ったのに、「紅白」は補欠というか繰り上げでやっと出演して、「懺悔の値打ちもない」の北原ミレイは圏外でした。
それにしても、北原ミレイの歌はどれもすさまじいですね。阿久悠もとことんまで書きました。それに比べたら「青い性典」の山口百恵なんてホント、青いです。女子刑務所にイモンして「ざんげの値打ちもない」を歌ったら、受刑者はみんなしくしくと泣くだろうなと思います。
「石狩挽歌」は、当時はきいたことありませんでした。それまでの凄まじい歌に比べると、NHKでも歌える歌だったと思いますが、暗く重い歌詞ですね。
北原ミレイという人については全くプロフィールもわからないのですが、どういう人生を歩んできたんでしょうね。
スモーキン・ブギは、アントニオ古賀の「クスリ・ルンバ」のような感じで、好きな人は好き、というようなカルトな歌になるのかと思いましたが、ヒットしましたね。しかも一発屋にならずに、逆に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」でその存在感を決定的にしました。結局それが、山口百恵の後半の歌のモチーフになりましたからね。
by いっぷく (2017-07-18 07:27) 

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