SSブログ

●詩人西條八十と歌謡曲、あるいは『人間の証明』の「ぼくの帽子」。 [「言葉」による革命]

●詩人西條八十と歌謡曲、あるいは『人間の証明』の「ぼくの帽子」・

末尾ルコ「文学と映画と音楽(3種の神器)の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

角川映画が社会的に大きなインパクトを与えていた時代があって、「インパクト」という点では頂点とも言っていい一本が『人間の証明』である。
森村誠一の小説を原作としてこの映画に対する批評家の評価は芳しくないし、わたしも「よくできた作品」とは思わないけれど、嫌いではない映画でもある。
まあ松田優作が主演の映画が松田優作を観るだけで満足してしまう、というところがあるのだな。
そして『人間の証明』と言えば、西條八十の「ぼくの帽子」という詩をフィーチャーしたCMがとても印象的だった。
次のような詩である。

・・・・・・

ぼくの帽子   西條 八十

母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谿底へ落したあの麦稈帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあの時、ずいぶんくやしかつた、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向から若い薬売が来ましたつけね。
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折つてくれましたつけね。
けれど、たうとう駄目だつた、
なにしろ深い谿で、それに草が
背たけぐらゐ伸びてゐたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子、どうなつたでせう?
あのとき傍に咲いてゐた、車百合の花は
もうとうに、枯れちやつたでせうね。そして
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で、毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きつと今頃は、―今夜あたりは、
あの谿間に、静かに雪が降りつもつてゐるでせう、
昔、つやつやひかつた、あの以太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y・Sといふ頭文字を
埋めるやうに、静かに、寂しく。

・・・・・・

この詩は西條八十の詩の中では非常に素直でシンプルなものなのだが、映画CMで使われた朗読の雰囲気にはかなり禍々しいものがあり、映画への期待を膨らませるに十分過ぎるほどだった。
この詩を英訳したものに曲をつけてジョー山中がテーマ曲として歌ったのだが、これがまた素晴らしい。
わたしはまだ英語なんぞまったく話せない子どもだったが、丸暗記で歌詞を覚えたものである。
で、西條八十であるが、4月から演歌に目覚め、その手の歌番組をしょっちゅう見ていると、いわゆる「昭和の名曲」的な歌を今の歌手が歌唱するという企画がよくあるわけだ。
そしてけっこうあるんですね、西條八十の作詞した歌謡曲が。
有名どころをいくつか挙げてみると、

「旅の夜風」(映画『愛染かつら』のテーマ曲)
「東京行進曲」
「東京音頭」
「誰か故郷を想わざる」
「蘇州夜曲」
「青い山脈」

などなど。
そしてやはり歌詞がいいんですわ、西条八十あたりが作るとなると。
ま、詩の世界も今は「現代詩」なるごくごくマイナーな場所があるだけになっているが。

nice!(27)  コメント(1) 
共通テーマ:アート

nice! 27

コメント 1

いっぷく

松田優作は、早逝したから評価が高まったと前夫人は本で書いていますが、変わり者と思われてしまうエピソードもたくさんあり、今生きてても個性的なな役者としてそれなりのポジションにはいたと思います。
村野武範→松田優作→中村雅俊→宮内淳→渡辺徹……と、文学座の若手俳優が日本テレビの岡田晋吉プロデューサーに次々後輩を紹介して、「太陽にほえろ!」や青春学園ドラマの仕事を得たという話はマニアの世界では有名ですが、ちゃんと松田優作もそのつながりの中にいるので、一見乱暴者そうですが、決して一匹狼ではなく仲間の面倒見もいいということもわかります。ただ、ちょっと独りよがりのところもあったかもしれませんが(笑)

角川は宣伝が巧かったですが、たしかに「人間の証明」にはインパクトが有りましたね。
私は尺の長い大作が苦手で、90分程度のプログラムピクチャーが好きなんですが、それでもこの映画は見に行った記憶があります。もっとも、岡田茉莉子が服を剥ぎ取られるシーンが本人かどうかがかなり重要な見どころという程度の浅い映画ファンとしてですが(笑)
西條八十は、私が生まれる前に島倉千代子の「この世の花」を作っていますが、その後、阪神の藤本勝巳と離婚し、その前後に4人の子供を中絶する壮絶な人生を象徴するような歌だなあと思いました。ヒットした時はわかりませんが、懐メロなどで後に歌うときは、母親を自殺で亡くした森進一の「おふくろさん」同様、職業を超えた生き様を投影する迫力を子供心に感じました。
西條八十は、1970年になくなっているわけですが、それまで流行歌の世界では現役だったわけです。ただ、1960年以降の、ハワイアン、GS、フォークが流行する頃は実績が減っています。それは年齢だったのか、時代的役割を終えたのか、という謎が残ったわけですが、77年に「復活」したことで、プロモーション次第では人々に評価されるということが明らかになってよかったと思いますね。
by いっぷく (2017-08-17 02:04) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。