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●わたしが「大いなる興味」を持ちながら、「かなりの反発」をUWFに感じていた理由は何だ、何だ、何だっ? [「言葉」による革命]

●わたしが「大いなる興味」を持ちながら、「かなりの反発」をUWFに感じていた理由は何だ、何だ、何だっ?

末尾ルコ「プロレスと格の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

第1次UWFは1984年に始まり、第2次UWFが1991年に解散する。
その後UWFは、藤原組、UWFインターナショナル、リングスの3団体に分裂し、藤原組からパンクラスが生まれるわけだが、わたしは当時これら各団体に対しては、大いなる興味とかなりの反発を持ちながら眺めていた。
「大いなる興味」とは、アントニオ猪木の格闘技路線に熱狂した人間として、「プロレスの純粋な競技化」は一つの夢だったのであり、UWF的動きがひょっとしたらその実現に繋がるのかもしれないと感じたことによる。
では「かなりの反発」とは何か。
一つはUWF所属レスラーたちの、従来のプロレスに対する否定発言への反発だった。
特に第1次UWFスターと前後の佐山聡のプロレス否定発言は、わたしの感覚では度を越したものがあった。
自分が「タイガーマスクだった」ことを「恥ずかしい歴史」のようにメディアで語る佐山聡の姿を見ながら、(一体自分は何のおかげで有名になれたのだ)と苦々しい気分で一杯だった。
もちろん新日本プロレスを対談した直後のことで、いろいろと胸に鬱積したものがあったのは理解できるけれど、(それにしてもディスり過ぎだろう!)と。
もっともその後の佐山は旧UWF勢と犬猿の仲となったり、猪木へ近づいたり、プロレスのリングへ上がったり、不可思議な団体や武道を立ち上げたりと足元が定まらず、(おもしろいおっさんだな~、うふ)くらいの感覚にはなったが。
「かなりの反発」のもう一つは、UWFのコアなファンや取り巻きがあたかも新興宗教のような雰囲気を醸し出していたことだった。
もちろんしっかり距離を置いて冷静に感性していたファンも多かっただろうし、かつての猪木ファンの多くも「猪木信者」と呼ばれていたように、「猪木絶対主義」であったけれど、それ以上にUWFファンのかなりの部分に過度な「生真面目さ」と「選民意識」を感じていたわけだ。
どうも「冗談の許されない雰囲気」とでも言おうか。
わたしはそういうのはまったく駄目である。
ちなみにわたしは「熱烈な猪木ファン」ではあったけれど、「猪木信者」ではなかった。
何に対してもわたしは「信者」にならない主義なのだ。


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いっぷく

私は、UWFというのは、新日本で上に行けない人や余剰人員や会社と折り合いが悪い人が出ていって一花咲かせるための団体ぐらいに最初見ていました。そこに佐山が入って格闘技を志向しているという路線になって、宗教化が確立してのは第二次のときでしたか。
たしか旗揚げ戦で流血試合になったらそこで打ち切りになって、前田がマイク持って「ぼくたちは殺し合いはしません」みたいなことを言って、観客が盛り上がってましたね。
でも、プロレスより上のような選民意識は賛成できなかったですね。だって、プロレスでトップとってない人たちばかりで、プロレスでトップとってない人が、なんで新団体作るとプロレスより上なの、という素朴な疑問がありました。
UWFインターで、ダブルバウトと称するタッグマッチを始めた時は、さすがに、「これ、プロレスじゃないの」と思いましたし、馬場が言う「シューティングを超えたものがプロレス」とか「関節技の応酬など道場でやればいい」といった見解や、ターザン山本の考えた「みんなが格闘技に走るんで、私プロレスを独占させて頂きます」というようなキャッチコピーを見て、やはりUWFにはイケなかったですね。

ビック・ジョン・クインは、ニック・ボックウインクルと組んで第1回NWAタッグリーグに参加して、猪木・星野組と決勝戦に出てきましたね。最後負けましたけど。
あのときは、外国陣営の本命は誰が見てもアーニー・ラッド、ロッキー・ジョンソン組だったのですが、大型コンビのため、猪木・星野組が勝つ相手としてはふさわしくないと判断されたようで、大木金太郎・山本小鉄組に不可解なリングアウト負けで脱落させられました。
要するに、猪木を優勝させるためにゴリラ・モンスーンを山本小鉄に秒速カウントで負けにして脱落させた第11回ワールドリーグと同じで、猪木・星野組を優勝させるために、外人陣営の星の調整をしたんですね。
まだ日本プロレス時代は、猪木は会社に引き立てられていることがわかる展開でした。
この頃の猪木は、強くなることに貪欲で、体つきもよかったのですが、レスラーとしてそれが開花したのは新日本プロレスを作ってからではないかと思います。やっぱり自分がオーナーレスラーになるということが大切で、それがないジャンボ鶴田が善戦マンを何年も続けたのは、致し方なかったのかもしれません。

ちなみに、馬場のパートナーはミツ・ヒライでしたが、日本プロレス事件史の流智美氏の記事によると、馬場小鉄組という案もあり、山本小鉄としては、馬場と組んで、猪木・星野組と同点決勝をやりたかったと言ってたらしいのです。
が、小さく非力なくせに自分を売ることに熱心ですぐ仕掛けてきて、逆に外人に返り討ちにあうとしょぼんとしてしまう小鉄は外人に嫌われていたそうなので、まあおそらく「同点決勝」が実現しても、猪木と星野にボコられていた(しかも馬場は見殺し)だろうと思います。

『Gスピリッツ』は読んでいないものもありますが、図書館にないので、これからブックオフ、ツタヤ、アマゾンマーケットプレイスと探しまくって読んでみようと思います。
by いっぷく (2017-10-01 02:10) 

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