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●子ども時代、わたしに賭けポーカーで勝ちやがった奴に殺人技をかけたのか?あるいは「バイ」と「パン」という昭和の遊びとは何か? [「言葉」による革命]

●子ども時代、わたしに賭けポーカーで勝ちやがった奴に殺人技をかけたのか?あるいは「バイ」と「パン」という昭和の遊びとは何か?

末尾ルコ「昭和文化史の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

この前、「モノポリー」や「バンカース」といった、複数名で遊ぶボードゲームについてお話、

複数人で行うボードゲームは、「人間関係の研究」にも最適なのである。

と書いたが、そうなのだ。
実際に顔を合わせて遊ぶゲームというのは、「自分」を含めた「人間観察」にもってこいなわけなのである。
なぜか?
「モノポリー」であれ「バンカース」であれれ、ゲームとは言え、勝敗を争っているわけで、負けが混んできたり、敗色濃厚になってきたりすると、だんだん腹が立って来ることがある。
自分が負けそうになっているということは、他の誰かが勝ちそうになっているのであって、そいつがニヤついてきたり、こちらを舐めたような、あるいは憐れむような表情をしていたりすると、本気で腹が立ってくる(場合がある)。
特にカードゲームなんかはその典型で、何を隠そう、今ではパチンコも含めてギャンブル関係は一切やらないわたしだが、子どもの頃の一時期は「賭けポーカー」をやっていた。
「賭け」といっても子どもであるから少額であるけれど、子どもの頃の少額は子どもにとっては大金であり、しかもポーカーって負けだすとドツボに嵌ったように立て続けに連敗するのですね(わたしの場合ですが)。
負ける度に僅かな小遣いが消えていくだけでなく、そもそも負け続けて「相手に屈服している」という屈辱感が耐えられない。
連勝に転じて取り返せばいいのだけれど、連敗街道から連勝街道に転じることはまずないのである(わたしの場合です)。
そんな時、どうしても相手の表情は緩んでいるし、人を舐めたようなムードがプンプン漂っている。
「何な、その顔は!舐めた顔、すなよ!!(←ナチュラルな怒りの土佐弁)」と、
研ぎ澄まされたプロレスの殺人技(←誇張表現です)
で相手に襲い掛かろうとしてことも一度や二度ではない。
まあ、実際はやらなかったけれど。
いや、ひょっとして何度かやったのだろうか。

ま、それはさて置き、ボードゲームやトランプなどに興ずるようになる前の遊びと言えば、

「バイ」や
「パン」があった。

この呼び方は、高知の、しかもわたしの友人間で流通していたものなので、他地域では別の呼称があるのかもしれないが、「バイ」とは「鉄製の小さな駒」であり、小さな台を真ん中に置いて、プレイヤーたちがバイを紐で勢いよく回転させて争わせ、先に台から落ちた方が負けというものだった。
「パン」というのは「メンコ」と同じものだと思うが、要するに図柄の入ったカードで、これも台を真ん中にして、相手のパンを自分のパンではたき、台から落とせば勝ちというものだった。
双方の遊びに共通して言えることは、

「長い時間やっていると、腰が痛くなる」

という欠点である。

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いっぷく

>「バイ」とは「鉄製の小さな駒」であり、小さな台を真ん中に置いて、プレイヤーたちがバイを紐で勢いよく回転させて争わせ、先に台から落ちた方が負けというものだった。

これはベーゴマ以外に思い当たるものがないのですが、ベーゴマだとすると、私の世代は実はもう終焉を迎えていて私はほとんど経験はなく、東京ですと昭和40年代はそれに置き換わるものとして「酒蓋」になっていました。
瓶の日本酒の、コルクの部分を取って金属のプレートだけを残し、遊びます。
たぶん此処から先はローカルルールが地方ごとにあると思うのですが、東京の23区ですらバラバラで、たとえば私の地元の場合は、勝負台で交互に自分のプレートを相手のプレートに指で弾いて当てて、場外に落とした方が勝ち、自爆したら負け、両方落ちたら落ちたところからやり直しというルールで、勝ったほうが負けた方のプレートもいただくことになっています。
取られると愉快ではなくなり、不正をしたなど言いがかりをつけて喧嘩になることはありましたね。
ただまあ、とられても、酒屋に行って空き瓶からまた調達するので、それほど深刻なことにはなりませんが。
酒蓋がいつ廃れたのかは不明で、昭和40年代中頃にはもう終わっていたのではないでしょうか。
たぶん万博がきっかけですね。あれで高度経済成長の仕上げと言うか、新しいデパートができたりテレビの放送時間が長くなったりして文化がかわったので、少なくとも東京はその時期に終わったと思います。

ポーカーは高級なゲームですから、子供の頃はやらなかったですね。
サシで勝負する場合は、台札のカードと隣り合ったカード次々と出していき、相手よりも早く自分の手札をなくすことを目的とする「スピード」、グループの場合には「ジャパニーズページワン」でした。
カードは言いがかりを付けにくかったので、涙目になっていましたね(笑)
こちらは金を賭けることはなかったです。当時はみんな貧しいので(汗)、駄菓子を買うと賭けるほどのタネ銭も残っていませんでしたから。ただガム1枚とか、その単位ですね。
あと勝負事は将棋もやりました。はさみ将棋と回り将棋。今もその名残で、オンラインゲームではついはさみ将棋をやってしまいます。

>しかも「池上線」がどこを走る電車かも知らずに歌詞やメロディのみしっかり残っているという。

私も欧陽菲菲が「雨の御堂筋」と歌っていても、どこの話かわかりませんでした。欧陽菲菲の日本語も曖昧だったので、ミド大筋に聞こえてましたし。
それを言ったら青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」もそうでしたけどね。でもちょっと肩や腕のあたりの肉付きがいい青江三奈は子供時代の私の心をとらえる素敵な歌手だったので、歌詞などは二の次でした。「中の島ブルース」だけは、「ここは○○、中の島ブルースよ」と歌詞で場所を説明してくれているので(笑)わかりましたが。
by いっぷく (2017-10-08 02:25) 

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