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●末尾ルコに重大インシデント発生か?オリコ広島自動車ローンの審査却下?そして『かっぱえびせん 東京下町もんじゃ味』の感想は?? [「言葉」による革命]

●末尾ルコに重大インシデント発生か?オリコ広島自動車ローンの審査却下?そして『かっぱえびせん 東京下町もんじゃ味』の感想は??

末尾ルコ「日常描写と食の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

(ちっ!オリコ広島の野郎、これだけ「け×の穴」の小せえやつだとはな!セコい銭勘定ばかりしやがって!おっと、それが仕事だったねえ)
などと、もちろんわたしはそんな小さなことをどうこういう人間ではない。
いかにオリコ広島の方々の「け×の穴」が小さかろうが、わたし自身は「け×の穴」が小さいなんてことはまったくありましぇん。
あ、もちろんこれは慣用句の世界の話であって、生物学的に「け×の穴」が小さいとか大きいとか、そんなお話ではありません。
いや、普通はそんなこと分かるのだけれど、「普通」が通じない人も多々存在するので、はい。
で、いかなる仕儀が生じたかと言えば、はい、わたし、中古車のローン、オリコ広島にキャッキャ、いや却下されちゃいました。
いや、ぜんぜん平気ですよ。
同情なんか、いらないじょ♪
車なしで高知での生活はままならないから、無理して現金を用意して中古車を購入するけれど、わたしが年の瀬に餓死していたら、「オリコ広島のせいです」なんて言いません。
ぜんぜん言いませんよ、わたしが年の瀬に餓死していたら、「オリコ広島のせいです」なんて(ふふふ)。

しかしおかしいなあ、わたしはローン滞納もしたことない以前に、ローンで物を買ったこともなければ、クレジットカードも作ったことないのである。
そんな善良なわたしを「審査却下」にした理由は、わたしが「一般常識では理解し難い自営業」であったからなのか。
それにしても、「払えるから、ローンを組もうとした」というのに、書類だけでお粗末なことしやがって、なんてぜんぜん思ってません(ふふふ)。
しかしそもそも人様を「審査」とは何て横着な言い草だ。
ローン組んでくれる客がいなければ、オリコ広島なんぞ会社として成り立たないのだろうが!なんてこと、ぜんぜん思ってません!

それにしてもこうしたローン関係の会社は「審査の内容」を決して公開しないとされているが、そのおかげで書類を書いたりディ―ラーへ行ったりで、少なくとも全体で「4時間」はロスしてしまった。

この件に関しては、また機会があればもっと詳しく書こうと思っているが、年の瀬に手持ち現金が目減りするのは事実だ。

そしてまたわたしは、『かっぱえびせん 東京下町もんじゃ味』を食べたことも事実である。
わたしはもんじゃ焼き自体を食べたことがない。
そして『かっぱえびせん』のプレーン味に飽いているというのも事実だ。
この2つの要素が重なり合ったのかどうかは定かではない。
そう、『かっぱえびせん 東京下町もんじゃ味』を、わたしは案外美味しく食べることができたのだ。

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(。・_・。)2k

さっき もんじゃ食べて帰って来たところです
美味しいもんですよ
てか ちょっと間をおいて
また食べたくなる味って言うのかなぁ
そういった類いのものです

by (。・_・。)2k (2017-12-16 01:08) 

いっぷく

私自身が心配していることがまさにそれなんですね。ローン会社の審査でハネられるという。
私は確定申告はいつも欠損を出しているので(汗)パソコンのリースがハネられたことがありました。
欠損を出すと所得税・住民税は非課税になり、子どもの莫大な療育費がかからないのです。障がい者のデイサービスとか、健常者の塾を補ったり置き換えたりする補習塾とか、障害者用の幼稚園にあたる施設とか、障がい者の受給者証を使うサービスは無料ではなく、その家庭の納税額で月謝が決まるのです。で、非課税だと月謝がゼロ円になるのです。そのために欠損を出しているわけではないのですが……。
ネットでは、障害者福祉は税金の無駄、のようなことを言ってますが、実際には、そうしたサービスを使っている人はむしろ経済的にちゃんとしている人が多いのです。貧乏人に障がい者が多い、というわけではありませんから。ゼロ円なんて我が家ぐらいです。
ですからむしろ障がい者産業は、国や自治体は歓迎していて、参入業者も増えて雇用も創出できているんですけどね。
金貸し業もいろいろで、貸し渋るところもあれば、たとえば楽天のように300万まで無審査というところもあるので、私でしたら、そういうところで借りて、自動車は現金で買うことになると思います。

子どものリハビリと、妻のねぎらいと私自身の気分転換で、外来やリハビリのときは外食の機会を作っているのですが、考えてみれば、外食というのは、他者に調理を委ねているわけで、食中毒もなく美味しければラッキーというぐらいの気持ちでいなければだめだなと思いました。
あとは、食べログのようなレビューサイトは、「事実」は参考にするけれど、結局自分で行ってみないとわからないということですね。

1972年は、猪木が春に旗揚げして、馬場がNETテレビに登場したと思ったら今度は日本テレビが放送をやめてしまい、馬場も10月に日本テレビの後ろ盾で独立したというプロレスでは激動の年でした。さらにいえば、老舗の日本プロレスは、馬場がやめたらすぐに観客が落ち込み、もう72年のうちに猪木との合流話が出ていたそうですね。
たった1年で、プロレス界の様子がガラッと変わってしまったことに対しては、やはり戸惑いました。
東スポでは、3月の終わり頃、馬場がNETに出ることになったが、日本テレビは激怒していて日本テレビの契約は3月に切れるが更新されないのではないかというような記事が出たのですが、私は子どもながら、東スポが大げさな新聞ということをわかってきつつあったので、長年放送してきた日本テレビが放送をやめるなんて信じられないと思ってました。記事では、馬場もNETに出ることは前向きに書かれていたのですが、それは組織人としての建前で、馬場個人は反対だったことは後からわかりましたが。
で、実際に4月からも放送はされていたのですが、やめたのは急で、馬場とゴリラ・モンスーンのワールドリーグの決勝戦を5月に放送した翌週から、急に過去の名勝負を放送したのです。
私としては、猪木が追放され、馬場まで日本プロレスを離れるというのは、BIが外人と戦うというプロレスをずっと見てきたので、どう受け止めるべきか困ってしまいましたが、それは当時のファンもそうだったと思います。
それまでは、普通の試合で5000人の会場を満員にすることはめずらしくありませんでしたが、それ以後新日本も全日本も、会場は2階席が空席で実数と公称が違うとか、一定の層がプロレスから離れた感は否めませんでした。
by いっぷく (2017-12-16 09:09) 

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