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●動脈硬化な母に「つまみ食い禁止」を守らせるためにわたしが取った方法とは? [「言葉」による革命]

●動脈硬化な母に「つまみ食い禁止」を守らせるためにわたしが取った方法とは?

末尾ルコ「医療と音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしの母の健康に関する覚書として次のような項目を当ブログへも記事としてアップしたのがつい数日前。

・冷静に。(興奮し過ぎない・緊張し過ぎない)
・少しでも調子がおかしければ、すぐに言う。
・適切な水分。
・ゆったりした服装。
・転倒などしないよう、常に注意する。

これは手書きにして母へも渡したのだけれど、この中に

・つまみ食い禁止

を付け加えることにした。

ああ、それにしてもこんなこと守れないなんて。
80歳を超えている母の健康に関しては、かなり前から一番の問題点は「動脈狭窄」であり続けている。
今までに被った、
「脳梗塞(重いものではなかったけれど)」

「心筋梗塞寸前の狭心症(これはもう20年以上前に言われた診断であり、この診断内容については今となっては極めて疑問に感じている)」

などの原因要素の一つが動脈硬化であることは言うまでもなく、現在年に1~2回は頭部MRIと頸動脈エコーを受けてチェックしており、「ある程度狭窄は進んでいるが、今のところ薬物療法と食養生などで構わない」とされている。
母は元来頑健な身体ではなく、年齢なども考慮すれば、できるだけ手術などキツい治療には持って行きたくないのである。
そのための日々の食養生なのに、リビングに置いてあるチョコやまんじゅうの数が妙におかしいと思って問い質したら、

「お腹が空いちょったき、食べた」

絶句するのは、わたしだ。

「お腹が空いた」って、我が家は一日2食が基本ではあるけれど、母の食べる量は一般的に80代の女性が食べる量よりもかなり多く、しかもその内容は「若者が食べるような料理」も含まれている。
カロリーを大きく減らした食事にすれば、いろいろな検査値がもっと安定するのは分かっているけれど、「食時の愉しみ」も日々の大きな生きがいの一つであり、無碍に精進料理的な内容にするのもどうかと思い、いろいろ工夫と苦心を続けているのがわたしだというのに・・・。
(つまみ食いを控えることくらいできないのか・・・)と、さすがのわたしも18時間ほど(笑)極端に不機嫌になったが、そうは言っても、結局は「許さざるを得ない」のが我が家の親子関係というものなのだ。
しかしこのままではしめしがつかない。
どうすべきかかなり思案したが、今後は

「もし母がつまみ食いをしたら、わたし(末尾ルコ)が一日絶食する」

ことを宣言した。
果たしてこのやり方、功を奏するかどうか。


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いっぷく

>「もし母がつまみ食いをしたら、わたし(末尾ルコ)が一日絶食する」
>ことを宣言した。

これは大変ですね。自分の経験あるのでわかります。
私も2003年に母が胃の悪性リンパ腫になり、以後4度がんを発症。15年間で19回入院しているので、同じようなことをずっと行ってきました。
しかも発覚が2003年ですが、1980年代後半ぐらいから兆候はあったので、病院に行くまで10年以上かかり、その間、病院にいけいや行かないの繰り返しでモヤモヤした時期を過ごしました。このエネルギーの浪費はもったいなかった。
しかも、胃の悪性リンパ腫は原因がはっきりしていて(ピロリ菌)、初期なら除菌で治る可能性があったのに、胃全体に広がるまで放っておいので、抗がん剤8クールやりました。
でも変な話、悪性リンパ腫でよかった。悪性リンパ腫だから間に合ったので、胃がんだったらとっくにお陀仏でしたから。
それだけ長きに渡り母親に気を使いいろいろなお世話をしたので、人生の一番働ける時期にかなりの時間とエネルギーを犠牲にしました。

しかも、母親は前に書いたように自己愛性パーソナリテイ障害としか思えない人格で、自己批判や反省などは一切なし。そして子どもを自分の都合で生きる奴隷ぐらいにしか思っていません。あとになって、自分がこうしなかったのが悪かった、ではなく、あんたがやらせなかったと責任転嫁する人です。
そういう毒親ですから、自分の人生をとるか、母の犠牲になる人生を採るかという選択にならざるを得ません。

それについて自分が後者だったのは、非情になって親離れしなかった私の責任もあるのですが、早くに父親をなくし、妹が何もしないという「ほしのもと」では、逃れることができなかったのです。
まあ私が晩婚であることも明らかに母親が原因ですけどね。
母に対する複雑な思いもあって、長男が生まれるときは、生まれる1ヶ月前まで黙っていました。前置胎盤で妻の命もわからなかったのでもしものときに備えて仕方なく伝えましたが、なんでもなかったら生まれても黙っていようと思っていたほどです。
亡父はスタンドプレーと借金道楽の人間で、自分がもし早逝したらという準備もせず保険も入っていなかった人間ですから、後始末も大変でしたし、本人も死にたくて死んだわけではないと思いますが、亡くなったことによる子としての喪失感が、その後母を離れる判断をさせず私の人生に負の影響をもたらしました。

ですから私の場合、はたから見れば、私は365日母に尽くす親孝行に見えるようですが、自覚的に主体的に母の世話をしている……とは胸を張ってはいえず、ずーっと複雑な気持ちでやっています。

昨日の杉田かおるの話で、コメントの中には、「親を介護施設にお願いするには勇気が必要です」なんて、施設を使うことを懐疑的に述べている人もいるのですが、それは綺麗事です。
介護施設といってもいろいろあり、たとえばリハビリの名目で、比較的長く入院できる病院もありますが、そうしたところにお願いすれば、食事管理、便の状態、各種検査などもしてもらえるんです。家族もなるべく面会をすることで、コミュニケーションもできます。
これを、障がい者を3人も家族に抱えた私が、さらに調子の悪い母までまるごと引き受けたらどうなるか。
私のような環境で苦労したことのない幸せな人は、杉田かおるに疑問を呈するふりをして、杉田かおるの判断を尊重している私の「非情さ」を非難してるんですね。全く嫌になりますよ。

話はもどりますが、ただもし、それでつまみ食いがあると、次の展開がむずかしくなりますね。
私も、今度はこうしようとか、こう取り決めようとか考えるのですが、その一方で、80過ぎた人にこれはどうだろうかなどと迷うこともありました。
私の母の場合は今は卆寿を過ぎていますし、がんを4回、入院は15年間で19回ですから、さすがに私のくたびれたというか、ガミガミ言うことでストレスを感じさせるより、放っておく方が本人のためにも私のためにもいいかなという心境です。
by いっぷく (2017-12-26 10:30) 

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