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●「宇宙の誕生、約138億年前」は信じられるのか?マツコ・デラックスの年齢は?『男はつらいよ 寅次郎の青春』のエロティシズムとは? [「言葉」による革命]

●「宇宙の誕生、約138億年前」は信じられるのか?マツコ・デラックスの年齢は?『男はつらいよ 寅次郎の青春』のエロティシズムとは?

末尾ルコ「宇宙や映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「約138億年前」に宇宙が誕生したとされているが、こんな数字にわかには信じ難い。
科学雑誌や宇宙をテーマとした文章では、まったくの一般常識のように、「宇宙の誕生は約138億年前」が前提として語られるけど、そしてそれは現代科学の精髄を投入した研究の末に導き出されているくらいは理数系音痴のわたしでも分かるけれど、それでもなお、「人間が宇宙の誕生を解明した」と信じるのはあまりにおこがましいのではないかと思う。
少なくとも、「現時点での科学では、約138億年前ではないかと想定されている」くらいの表現にすべきではないかと。
なにせ、「約138億年前」という数字を既成事実のように使っているからね。
このあたりの「神経」がわたしには信じ難い。
「科学の成果」というもものほとんどは常に更新され続けているわけで、しかも森羅万象の多くのことはいまだ「明確に理解できてない」はずなのではないか。
自分たち「人間」についてさえ、未解明の要素は無数に存在しているではないか。
なのに、「宇宙の誕生について(かなり)解明した」などと主張するのは、あまりに科学者の傲慢ではないかと常に感じているのである。

さて話はまったく変わるが、マツコ・デラックスである。
わたしは現在、民放のバラエティ番組はまず観ないので、マツコ・デラックスの番組も観てないのだけれど、この3月、「吉永小百合が出演」の回があったので、『マツコの知らない世界』を観てみた。
マツコ・デラックスに関しては、特に好きでも嫌いでもない印象だけれど、今回観て驚いたのは、マツコ・デラックスって1972年生まれなんですね。
つまり40代半ばなのだけれど、もっとずっと年が上かと思い込んでいた。
まあだいたい60歳くらいではないかと。
まあそれだけの話なんですがね(笑)。

ところでBSで放送された『男はつらいよ 寅次郎の青春』を最近観たのだが、『男はつらいよ』は一通り観ているつもりだったのだけれど、「しっかり鑑賞」はしていなかったことがよく分かった。
特に高校時代辺りには、山田洋次監督は「生ぬるい」作品を作る監督と思い込んでいたのである。
ところが今回、『寅次郎の青春』を観てみると、案外エロティックかつフェテイッシュなシーンを挿入しているのですね。
例えば、後藤久美子が吉岡秀隆の部屋で肌色のストッキングに包まれた足を揉むシーン。
あるいは風吹ジュンの散髪屋で、寅次郎が風吹ジュンのスカートの下のすねからふくらはぎ、そして足首を眺めるシーン。
あるいは、散髪する風吹ジュンの胸が寅次郎の顔面に密着するシーン。
これらは下手なラブシーンよりも遥かにエロティックであって、山田洋次作品、まだまだ新しい発見がありそうで嬉しくなった。

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いっぷく

マツコ・デラックスは木村拓哉と同級生と聞いていたので、まあ40代半ばなわけですが、私が昔一緒に仕事をしたカメラマンが国分太一がいた頃からのSMAP御用達で、彼らがいかに悪気なく非常識なお子様かよく話していました。ですから木村拓哉というと、今でもナマイキ少年の頃のイメージが消えずに残っているので、ということはマツコにもそんな時代があったのか(笑)とアタリマエのことに驚いてしまいます。

山田監督は、実は毒のある監督だと思います。「男はつらいよ」は国民的映画になってしまったので、大胆なことはできなくなりましたが、ハナ肇の「馬鹿」シリーズの頃は、かなり好き勝手やっていました。
「馬鹿まるだし」の『馬鹿』は、後先考えずに突っ走る直情的な生き方をそう呼ぶのに対して、車寅次郎がおいちゃんから「ばかだねえ」といわれるのは、惚れた女性に対する熱中ぶりだけでなく、気を回しすぎて自分からその恋愛を降りてしまう、むしろより繊細で深いふるまいをも指していました。そういう意味では、ちょっと難しくて哲学的になってしまったのが「男はつらいよ」です。
東大法学部卒の山田洋次監督の人情礼賛映画など庶民におもねる欺瞞だ、と評している学歴コンプレックスの個人ブログを観たことありますが、私は違う意見です。なぜなら、山田洋次監督の描く世界はきれいごとの人情映画ではなく、人間の持つ“毒”を描いていると思うからです。
そしてそれでもなお、人間として生きていく以上、それと折り合いを付けなければならないし、まあ人間も悪いところだけではなくいいところもあるんだ、という“悟った人情”であり、人情礼賛のようなお花畑物語ではありません。“毒”というのは何かというと、たとえばヒロインの冷酷さです。
『馬鹿まるだし』では、ハナ肇が目を潰してまで助けた女性(清水まゆみ)が、命の恩人である安五郎を覚えていないと答える、エピローグ的なラストシーンをわざわざ作っています。山田洋次監督が、他人に幻想を抱いていない、善意ははかないものなんだという厳しい見定めを主張したかったのだと私は感じました。
『男はつらいよ』では、松坂慶子が演じた芸者が、寅次郎にわざわざ結婚を決意したり、高田敏江演じる夫が失踪した子連れが、夫とよりを戻したことを伝えるシーンがあります。だったら黙ってそうすればいいのに、女性の無神経さは、車寅次郎にとって残酷なシーンです。事程左様に、気持ちが繊細で、ひとがいい人は、傷つけられるのが世の常なんだ、ということを山田洋次監督は実は一貫して描き続けているのです。
by いっぷく (2018-03-17 02:52) 

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