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●「プロレス技試論」~プロレスにおける「関節技」の扱いと、古の藤原喜明「脇固め」。 [「言葉」による革命]

●「プロレス技試論」~プロレスにおける「関節技」の扱いと、古の藤原喜明「脇固め」。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

プロレスは原則、「相手に怪我をさせてはいけない、相手に深刻なダメージを与えてはいけない」ものである。
かと言って、「明らかに痛くないような」技や攻撃ばかりしていたら、当然誰も観に来ない。

考えたら、「このような分野」、他にあるだろうか?
非常に珍しい表現分野である。

ではプロレス技はどのようにカテゴライズできるか?
概ね次のような感じではないか。

投げ技
打撃技
絞め技
飛び技
関節技
固め技
反則技(笑)

しかし以前と比べるとこのような技も複雑化してきて、各カテゴリーが複合している技も珍しくない。
例えばもともと、「打撃技」と「飛び技」は被っているものであり、「普通のチョップ」はシンプルに「打撃技」と見ることができるが、これが「フライング・クロスチョップ」となれば、「飛びながら、打撃する技」ということになるし、フライング・ボディ・プレスやハイ・フライ・フロウなどの派手な「飛び技」も、結局は「打撃を当てる」に該当する技となる。

「関節技」の扱いは昔からプロレスにおいて非常に微妙なものであり、基本的に「関節技」というものは、「極まれば、逃げることも耐えることもできない」ものなので、プロレスの試合の中では「本物の関節技」を使うことはまずなかった。
プロレスを少しでも実践(笑)したことのあるプロレスファンであれば、以前から薄々あるいは濃厚に「関節技の効果」に気づいていたけれど、それが「さほど詳しくないプロレスファン」たちにまで知識として広がったのがUWFの台頭時だった。
関節技の威力について初めて知ったファンたちは、まるでそれが魔法のように、どんな相手に対しても簡単に極められる技だという幻想を膨らませた。
特に「関節技の鬼」と称された藤原喜明が繰り出す技の数々はUWFファンを魅了したものだが、当時藤原が得意としていた「脇固め」など、リアルファイトではとんと見かけない関節技も多い。
「チキン・ウィング・フェイス・ロック」なども、今となっては、(あれは何だったんだ)の世界ではある。
ただわたしもUWF的試合を実際に観たのは当時が初めてであり、どこまでリアルなのか判断が付きかねていた時期もあったが、これまた松浪健四郎が、『週刊ゴング』の連載コラムでだったと思うが、「玄人が見たら、UWFのアキレス腱固めも本気でやっているかどうかすぐに分かるものだ」という意味の発言をしていて、(ああ、なるほどそういうものなのか)と、別に松浪健四郎に絶対的信頼を置いていたわけではないが、説得力は感じた。

現在新日マットなどで、「関節技が極まったけれど、耐える、耐える!」という見せ場が頻出するけれど、あれは「極まってないから、耐えるパフォーマンスができている」という状態なのは言うまでもない。


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いっぷく

当時は曖昧な書き方でしたが、佐山と藤原らでは、路線が違うということで袂を分かったと伝えられていたので、藤原らの立ち位置は、きわめっこショーのようなものかなと思いました。つまりUWF幻想のようなものは、当時のマニアのような熱狂的なものはなかったですね。
柳澤健本にも書かれていましたが、高田が船木をキャメルクラッチで攻めるというのは、うーん、ザ・シークと何が違う……とまでは思いませんでしだか(笑)普通のプロレスとの違いがわかりにくかったですね。
その後、どうして3派に分かれたのかはよくわからなかったですが、藤原が「プロレスの職人」としての評価をされていたのは、「そうかな?」という気はしましたけどね。だって負けるとき、3フォール取られた後、わざとらしくため息を付いて、なんでもないように立ち上がってリングを降りることがありましたから。もともと藤原は金子武雄のジム出身で、国際プロレスの米村天心らと同期なので、佐山とは思想が違うだろうとは思いましたけどね。

ただ、いずれにしても私の好みとして、関節技でフィニッシュという試合は正直興味を持てませんでした。
やはり、完全に相手を封じるサブミッションホールドではなく、試合の中でお互いが耐えたり攻めたりしながらその必然的な結末として最後に、“なるほど、これでスリー入ったか!”とフィニッシュまでの流れがある試合こそプロレス、という意識があったんでしょうね。
必殺技って、両刃の剣ですね。つまり、それが出たらフィニッシュという絶対的な技はプロレス的でわかりやすいけれど、上手に使わないと唐突に見えてしまうし、かといって使わないでいると、「そんなにすごい技なら、やられる前に最初から使えばいいのに」という、プロレスの根幹に関わるツッコミをされてしまいます。
馬場の32文は、相手がカウント2で起き上がることもありました。あれは馬場が衰えて低空飛行になってしまったこともありますが、馬場自身にそれを絶対的な技にする気がなかったこともあると思います。
それで終わることもあれば、そうでないこともある、そもそも使わないこともある。今日は別の技で試合するから、というスタンスでした。
馬場にとっても一応「ランニングネックブリーカードロップ」という、それが出たら絶対フィニッシュの技はありましたが、もちろん唐突には出さないし、そもそも年に何度も出さなかったですね。
その意味で、第11回ワールドリーグ優勝トーナメントの馬場ブラジル戦は、32文でもフォールできず、ジャンピングヘッドバットでもフィニッシュにならずと、漫画のタイガーマスク的に言えば「必殺技破れたり!」の繰り返しだったのですが、受けから攻めに変わる流れがスムーズなので、また同じルーチンでも飽きないのです。ですから、改めてあの試合は、私の求めるプロレスの完成形だったのではないかとまで思ってしまいます。

by いっぷく (2018-03-21 03:34) 

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