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●二人の「パット・オコーナー」・・・エリザベス・マストラントニオ、あるいはスピニング・トーホールドの時間。 [「言葉」による革命]

●二人の「パット・オコーナー」・・・エリザベス・マストラントニオ、あるいはスピニング・トーホールドの時間。

末尾ルコ「プロレスと映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

Pat O'Connor を検索すると、トップページに映画監督とプロレスラーの名として出てくる。
映画監督の「パット・オコーナー」とは、シャーリーズ・セロンとキアヌ・リーブス共演の『スウィート・ノベンバー』などの作品があり、妻がメアリー・エリザベス・マストラントニオであるという。
ジェームズ・キャメロン監督でメアリー・エリザベス・マストラントニオとエド・ハリス主演の『アビス』という深海スペクタクル映画がなかなか好きで、1年半ほどメアリー・エリザベス・マストラントニオのファンだった時期があるが、なかなかこのような中堅的雰囲気の女優がハリウッドで生き残るのは難しい。

しかし今日はプロレスラーのパット・オコーナーの話である。

「偉大なクラシックレスラー」の一人として必ず名前の挙がるパット・オコーナーは、比較的多くの動画が残っているレスラーでもある。
クラシックレスラーの多くの動画がもっと残っておれば有り難いが、人によってはまったく出てこない場合もある。
同時代のレスラーでも、「動画あり・動画(ほとんど)なし」がけっこうはっきり分かれるのだ。
最近観たパット・オコーナーの動画は次の二つ。「

「JWA Giant Baba vs Pat O'Connor 1963 !」
https://www.youtube.com/watch?v=RX49g8VJ96A

「Pat O'Connor vs Killer Kowalski」
https://www.youtube.com/watch?v=V3oJhHogSjA

コワルスキーとの対戦は、「1954年」のものであると説明されている。
どちらもダイジェストで短く編集されている。

馬場との試合は1927年生まれとされるオコーナーが30代後半に差し掛かった時期の試合ということになる。
身長180台前半と目されるオコーナーと209cmで、しかも動ける馬場の対戦は見た目にかなり無理があり、結果的に馬場の敗戦となるのだが、馬場がセメントで暴れていたらどうなっていただろうと、ひょっとしたらオコーナーとは言え、ひとたまりもなかったのではないかと、イマジネーションできるのが愉しい。

さらに注目すべきは、オコーナー20代後半のコワルスキー戦で、どちらも実に動きがいい。
コワルスキーも1926年生まれでオコーナーと同世代。
この試合は2m近くあるとされるコワルスキー相手だけれど、オコーナーの動きに不自然さはない。
両ファイターとも何のこけおどしもなく、しかし風格も凄味もたっぷりで、試合展開も「戦い」の薫りが存分に漂っている。
もちろん見どころはオコーナーの至近距離からのドロップキック、そしてコワルスキーもショートレンジのニードロップを炸裂させる。
腕や脚の取り合いも迫力と美が同居していて飽きさせるところがない。
そしてわたしが(ハッ)としたのが、オコーナーが明らかに「スピニング・トーホールド」を繰り出しているシーンである。
(え?オコーナーがこの時期に??)と思ったのだけれど、スピニング・トーホールドの「開発者」とされるドリー・ファンク・シニアが1919年生まれなのだから、この時期に他のレスラーが使っていてもおかしくなないということか。

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いっぷく

パット・オコーナーは、プロレスをあまり見ない母も知ってました。「技がすごい」って(笑)ルー・テーズ、レオ・ノメリーニ、フレッド・ブラッシー、ディック・ハットン、ビル・ミラー、このへんは知ってるみたいです。要するに、1960~1963年ぐらいにワールドリーグ戦に来た主力外人レスラーですね。このメンバーで思ったのですが、この頃のプロレスは、リアルファイトではなくても、リアルで「強い」レスラーが主力で、バディ・ロジャースが例外のように思えてきました。豊登が、馬場はリアルでは弱いからそいつが上でやるのは気に食わないと上田あたりを馬場に仕掛けようとして、逆に怒ったアトキンスに脱臼させられたことがありましたが、豊登こそ直線的なパワーだけで、結構馬場は豊登を抑えそうに思うんですけどね。ただ、馬場は相手を極めるというのが好きではなかったそうなので、本当の実力はわかりませんが。
パット・オコーナーは、全日本プロレスの初期のポリスマンをやってました。オープン選手権の頃は忙しかったらしいですが、新日本勢が間違って乱入したときのために、無理に来てもらったようです。馬場がブリスコからNWAをとったときは、ブリスコの報酬6000万円を、ブリスコと分担してカラダに巻きつけてアメリカに帰ったらしいです。←当時は現金の持ち出し枠を超えていたらしいです。
78年だと思いますが、外人同士のタッグマッチをテレビでやっているのです。パット・オコーナー、ネルソン・ロイヤル組対アルバート・マドリル、ジノ・フェルナンデス。これは面白かったですね。ロイヤルとマドリルは、NWA世界ジュニアの抗争をしていましたが、オコーナーもロイヤルもセメントが強いといわれていて、日本プロレス時代は大きなチャンスを与えられなかったロイヤルを、馬場はセミに登用してテレビにも出したことで、「強い」手駒の一人として扱っているんだなと思いました。
日本プロレス時代に、ヒロ・マツダが、デューク・ケオムカと組んで、エディ・グラハム、サムスティムボート組と、フロリダのNWA世界タッグ戦の直輸入のようなカードを見せて、マティ鈴木によると当時馬場がそれをうらやましいと思ったらしいですが、全日本で、「テキサス直輸入試合」を実現したという意義もあったのだと思います。
コワルスキーも、「強い」レスラーだったのではないでしょうか。何しろ、日本プロレス勢が合流したものの、少しずつ邪魔者が冷遇されていたとき、コワルスキーは馬場に頼まれたのか、大木金太郎戦で「本気」を出して、大木金太郎は恐怖を感じたのかそのシリーズを最後に自分から出ていきました。どうもニードロップで危ないところを連続して狙ったらしいのですけどね。大木金太郎は、バーナード戦で耳をやられて以来流血大好きで、額は派手に切ってもらうくせに、ニードロップというプロレス技で恐怖を感じて逃げ出してしまったのですね。
by いっぷく (2018-04-25 05:10) 

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