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●「一人プロレス総選挙」決行か!?2018年4月暫定版&それって、アメリカの国旗だっけ? [「言葉」による革命]

●「一人プロレス総選挙」決行か!?2018年4月暫定版&それって、アメリカの国旗だっけ?

末尾ルコ「プロレスと社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

高知市某所のパーキングエリア、若い男二人、女一人のグループが歩いていた。
別に聴き耳を立てていたわけではないが、聞こえてきたのである。
「あれ、まっことアメリカンやか」
標準語(?)に翻訳すれば、
「あれ、すごくアメリカンじゃないの」

しかしそのセリフを言った男が指さした先には、「ユニオンジャック(英国の国旗)を車体に大きく施した車」があった。

う~む・・・。そのグループ、大学生だか社会人だかは分からなかったが、星条旗とユニオンジャックの区別がつかない大人に選挙権は必要ないと思わなくもない。

ま、それはさて置き、何でもかんでも「総選挙」なんていう秋元康的路線はまったくわたしの好むところではないのだが、ここはそうした風潮に対するアンチテーゼ(←死語?)あるいはパロディも含め、敢えて

「一人プロレス総選挙」を敢行しようという市議、いや仕儀である。

とは言え、人生の中でずっと、「かなりのプロレス通」であると自覚してきたわたしであるが、「実はそうでもない」ことがこのところ明らかになってきて、自分を恥じること消え入りたい気持ちであると書けば盛り過ぎとなるけれど、実際「プロレスに熱中した時期」とは70年代中盤から80年代前半くらいまでで、その後は長期間つかず離れずくらいのスタンスでプロレスを眺めていた。
90年代からはリングスやUFCそしてPRIDEに熱中したが、それでも「プロレスから完全に離れた」ことはなかったといったところがわたしの個人的プロレス史である。
そして現在、「動画」の時代になり、思いもよらなかった「過去と現在のプロレス検証」が可能になっているわけだ。

しかし「一人プロレス総選挙」と言っても、忘れているレスラーもあるし、「動画憲章」によって過去のレスラーも含めて日々その評価は更新され続けているわけで、容易ではない。
そこでまず、「現段階ですぐ頭に浮かんでくる、わたしが好んで観た(観ている)レスラーたち」を順不同で挙げてみよう。

ハーリー・レイス
アントニオ猪木
フリッツ・フォン・エリック
ボボ・ブラジル
ドン・レオ・ジョナサン
ドリー・ファンク・ジュニア
北斗晶
ブル中野
豊田真奈美
ジャイアント馬場
紫雷イオ
ローランド・ボック
ジン・キニスキー
ニック・ボックウィンクル
ダスティ・ローデス
力道山
マイティ井上
アドリアン・アドニス
ザ・デストロイヤー
スーパースター・ビリー・グラハム
ペドロ・モラレス
スタン・ハンセン
・・・・・・

まだまだ「すぐに念頭に上らないレスラーたち」がいるに違いないが、今回は「一人プロレス総選挙」の候補者として、これらメンバーを挙げておこう。(つづく)

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いっぷく

>、実際「プロレスに熱中した時期」とは70年代中盤から80年代前半くらいまでで、その後は長期間つかず離れずくらいのスタンスでプロレスを眺めていた。

私もそんな感じです。ターザン山本にうまくのせられて、90年代の四天王プロレスも一応見てましたが、日本プロレスの頃のプロレスとは少し違うなあという思いはありました。違うことは悪いことではないのですが、私は昔のプロレスがやはり好きで、アメリカが本場で、余所のことははさっぱりわからないテリトリー制で、うさんくさくて、でもなぜか日本のテレビ番組としては数字が取れて、実際大きな試合はワクワクできる、そんな頃のプロレスがよかったですね。
タイツやシューズも今は派手ですよね、あれからして苦手です。バディ・ロジャースなどもいくら飾ってても、試合着はシンプルでしたよね。私は、UWFでレガース付けたあたりから、ちょっと気に食わないのです。ひとつには、スネ保護の目的があったと思いますが、折れるか、もしくは折れるギリギリのところまで蹴った経験もない奴が形だけ一人前のような気がして、それするのははやいんじゃない?という気がしました。
私には、天龍が高木功の額に、シューズの紐と金具の部分を押し付けるように小刻みに蹴る方が、派手な音をたてて蹴るより痛みが伝わってきましたけどね。
それにしても、総選挙は難しいですね、AKBの総選挙は一応メンバーが同じところで勝負しますが、古今東西のプロレスラーは、現役もいれば伝説もいれば、アメリカンプロレスもいればジャパニーズスタイルもいればで、立ち位置がバラバラですから。馬場と猪木が戦ったらどうか、なんてまだ論争してますよね。デストロイヤーがコワルスキーに平手打ちを食らわしてさっそうデビューしましたが、あれはコワルスキーのアイデアでヤラせたとか、虚実が幾重にもないまぜで、とても一筋縄ではいかない考察になりますね。

>しかも演じている俳優たちの人生そのものも常に視野に入れておられます。

俳優のリアル人生を役柄に投影させる癖は、試合からプロレスラーの「強さ」を推理するのに似て、虚と実のせめぎあいを探る楽しさがあり、ついそういう見方をしてしまいます。でもそれをするには、たんに作品だけを見るのではなく、芸能雑誌のインタビューとか、芸能記者の述べるその俳優のエピソードなどもインプットしておかなければならないので、できればパソコンを使ってデータベース化したいと思うのです。ただ人間評価はデカルトの方法序説ではないですけど、単純に部分(各エピソード)の総和が全体というものではなく、部分から全体を描くのは直感も大事なので、データベース化すればいいというものでもないんですね。そこが難しいです。
by いっぷく (2018-04-27 05:05) 

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