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●ハーリー・レイスの美とは何か~タトゥ、金髪、太鼓腹、あるいはプロレス弁護の知的訓練。 [「言葉」による革命]

●ハーリー・レイスの美とは何か~タトゥ、金髪、太鼓腹、あるいはプロレス弁護の知的訓練。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしが最初にファンになったプロレスラーがハーリー・レイスであるというお話は何度もしています。
本当は頭部にべったりと貼りついた金髪時代のハーリー・レイスをもっとたっぷりと観たかったのですが、結局リアルタイムでその姿を観たシリーズはほんの少ししかありませんでした。
NWA世界チャンピオンとして来日し始めたころのレイスは濃い目のブラウンヘアに定着し、二度と金髪にはならなかったのです。
それでもブラウンの短い髪が頭に貼りついていた頃はよかったのですが、ふわあっとパーマ状に伸びてきてからは、残念ながらハーリー・レイスの要望にはほとんど惹かれなくなりました。

ハーリー・レイスの容貌の魅力は、その左腕に二つ、右腕に一つ彫られていたタトゥにもあった。
現在のようにMMAファイターが見苦しいまでに全身にタトゥをしていたり、サッカーや野球の選手まで好き勝手にタトゥをしている時代とは違うのだ。
「アウトローの溜まり場」といった様相のプロレス界にさえ、タトゥを入れているレスラーはほとんどいなかった。
そんな中で「世界超一流レスラー」の一人であるレイスのタトゥの印象は強烈だった。
プロレスを観始めた時期、レイスの腕に大きく見受けられる緑色のが何なのか分からなかったくらいタトゥは非日常の存在だった。

しかしレイスファンだった少年のわたしを常に悩ませていた暗雲があった。
暗雲とは、ハーリー・レイスの腹部である。
どう見ても引き締まってない。
それどころか若手時代の写真と比べると、どんどん膨らんできている気もする。
「太鼓腹」という形容も当て嵌まりそうだ。
これは感受性の強い少年にとって、決して小さなことではなかった。
わたしの周囲の人間たちもわたしが「レイスファン」だと知っているものだから、「ハーリー・レイスいうて、腹が出ちゅうやんか」などと囃し立てることもあった。
そうした態度対しワタシは、「いや、腹が出ちゅうように見えるけど、あれは鍛えて筋肉が盛り上がっちゅうがやかき」などと、今となっては意味不明の苦しい弁護を図っていたものだ。

プロレスに関する「意味不明の苦しい弁護」・・・わたしは少年時代、これをどれだけ語ってきたことだろうか。
プロレスとは熱心なファンの少年にそのような負担を強いる罪深い存在だったのだ。

例えばレスラーがロープ最上段に上り、ニードロップを敢行する。
しかしプロレスファンでない奴らは言うのである。
「何で逃げんがな?八百長じゃかや!」
わたしは内心、(まあ、逃げてほしい気もするけれど)と思いながらも、
「あほう!それまで試合でいろんな技を受けてダメージがあるのに、逃げれるわけないろうが!」
と、それでも相手が舐めた口を利くのであれば、一戦交えることも辞さぬ構えで。

※暴力を推奨しているわけではありません。

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いっぷく

日本プロレスに来日していた頃のハーリー・レイスは、真のトップ外人ではなく、後半大物が特別参加するまでのメインエベンターだったので、正直そんなに気になる存在ではなかったのです。その頃は若かったので、そんなにお腹も出ていなかったような気がします。
ドリーファンクジュニアに勝ってはじめてNWAをとったときも、短期間でジャック・ブリスコに負けたので、WWWFのイワン・コロフのようなもので、短命王者としてそこでおわりなのかと思っていました。まさかそれが、その後80年代、取った取られたの繰り返しで、ルー・テーズの戴冠回数を抜いてしまうとは思いませんでした。
タトゥも、そんなに印象には残らなかったですね。といいますのは、私は子供の頃花街の置屋を会社が社宅として買い取ったところに住んでいて、銭湯には首からくるぶしまで全身彫り物の人が当たり前のように何人も入ってきていたので、腕に1~2箇所、何か模様を入れても、シミとか火傷の痕かもしれないぐらいの認識しかなかったのです。
やはりハーリー・レイスの存在を本格的に気にするようになったのは、オープン選手権でブッチャーと因縁を作ったことからです。当時は、デストロイヤーとブッチャーが抗争していたので、ブッチャーと戦うのはガイジンであっても悪者ではないという認識があったので、まずそれで見方がかわりました。
その後、次のチャンピオンカーニバルでレイスが特別参加して決着戦をやって、まあ結果はノーコンテストでこれは何となく予想できましたが、レイスは大暴れして、額を切っているのに、本気で何度も鉄柱に自分の頭をぶつけ、もしかして肉片もかわかりませんが、鉄柱に赤い塊のようなものがベトッとついたので、ああ、この人はすごいなと思いました。そのときはさすがに、せっかく初優勝したブッチャーもかすんじゃいましたね。今なら、プロレスをこえたところの部分で、レイス>ブッチャーが見えたのだろうとおもいます。
そして、馬場に対する忠義立てや、ラリー・ヘニングへの恩返しなどから、レイスの人間性にも興味をもつようになりました。ですから、レイスを積極的に評価するには、少し時間がかかりました。
今でこそ、馬場対レイスは「様式美」といわれますが、当時は技を出しまくる新日本プロレスに比べて、ゆったりと進む試合はどちらかというと評判は悪かったように記憶しています。お腹のこと含めて、そういう試合はまさに「全日本の試合」であって、新日本に比べたらロートルでストロングスタイルではない、ということだったんでしょう。本物を本物と認識するには時間が必要だったんですね。
by いっぷく (2018-06-02 04:46) 

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