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●稲田朋美センセー復権!?安部ソーリとの絆は深いまま~ノーベル賞で大騒ぎは日本だけなのか?「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘」と言う ノーベル賞の本庶佑氏のご高説は本当なのか? [「言葉」による革命]

●稲田朋美センセー復権!?安部ソーリとの絆は深いまま~ノーベル賞で大騒ぎは日本だけなのか?「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘」と言う ノーベル賞の本庶佑氏のご高説は本当なのか?

末尾ルコ「真実の探求レッスン」


いや~安部ソーリ、義理堅いと言うか何と言うか。

麻生太郎副総理兼財務相って、78歳なんですね。
若いですよね、80歳前にしたら、いろんな意味で。
政治家としての実績よりも、こちらの方が高く評価できます。
そして稲田朋美氏が党総裁特別補佐に。
防衛大臣時代の失敗は政治家として決定的なものだったと思うのですが、早くも復権ですか。
余程目の中に入れても痛くない「ベイベー」なのでしょうかね。
この様子だと安部ソーリ、「やはりわたしの後継ソーリは稲田君だ♡」とか言い出しそうで『恐怖の頭脳改革』(←by EL&P)だ(笑)。
野党の皆さんも政権におもしろくもないニックネーム(「在庫一掃」「閉店セール内閣」など)つけてドヤ顔でレッテル貼りするとか、顰蹙買うだけだから止めた方がいいですね。
立憲民主党の福山哲郎幹事長とかの(もう呆れ返ったぜ、俺)という表情はあまりに臭い演技過ぎてこちらが呆れ返ってしまいます。
どうせなら、「小芝居」福山哲郎という異名にして売り込んだ方が国民の支持を得るかも・・・とは思いませんが。

さて本庶佑 京都大特別教授がノーベル医学生理学賞を獲得してけっこうなことなのですが、同特別教授のインタヴューなどが載っている『BuzzFeed Japan』の記事に次のようなものがありました。


〈「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘」 ノーベル賞の本庶佑氏は説く、常識を疑う大切さを〉

これはつまり、『ネイチャー』や『サイエンス』が嘘の記事を載せているという意味ではなくて、そうした科学の有名誌に掲載されている記事であっても基本的には仮説であり、その大部分がいずれ覆される・・・という内容なのですね。
わたしは理数系の実力小学生並みですが、それでもこの点に関しては常に同教授と同じ考えです。
「権威」の前でいつも平伏していては、「真実」は見えてこないのです。
その意味では「ノーベル賞」の権威自体も疑うべきですね。
次のような記事の内容は多くの日本人が知っておくべきです。

〈ノーベル賞で熱狂するのは日本のマスコミだけ? 「お祭り騒ぎ」の舞台裏〉
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/nobel

まあノーベル賞に限らず、「日本の報道」はどんどんおかしい方向へ進んでいますから、騙されないようにしなければなりませんね。
次のような記事もありました。

〈ノーベル文学賞、見送り続く可能性も 選考関係者に有罪〉https://www.asahi.com/articles/ASLB1644FLB1UHBI02S.html

年に一回集まって「テレビに映りたい」ハルキストが憤死しそうなお話ですが、ここまでイメージが崩れたら、100年くらい見送ってもいいのではないでしょうか。

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いっぷく

今日のお話は、「正しい」ということはどういうことなのか、人が人の仕事や人生を評価するというのはどういうことなのか、といったことを考えさせられました。

哲学的に言えば、科学は相対的真理の長い系列ですから、より高次の真実に到達するものだということですが、ただ、「高次の真実」はほっといても転がってくるものではなく、見つけ出すのはあくまでも人間の意欲・能力なんですね。つまり、そこには人間の価値観が必ず入り込んでくるのです。
人工的に人間を作り出す研究を、倫理的に問題があるしてやらないのも「人間の価値観」によるものです。
ですから、物理学者が、「自然科学は人心から独立した客観的現象を解明している(学問的に価値のあるものだ)が、文化系は価値の学問(だから格下だ)」というようなことを言う人もいますが、自然科学がどんなに「正しい」ことを追求しようが、それを人がいかなる価値で採用するかしないかはまた別の問題ですから、法学や文学や経済学をコバカにする理由にはならないし、それどころか科学の発展がそれらに基づいた「価値判断」にかかっている厳然たる事実を科学者たちは忘れないでいただきたいとおもいます。

余談ですが、私は、大槻義彦さんが志水一夫さんにいびられて脱会したことで放り出した、超自然現象や疑似科学を批判的・科学的に究明する会の副会長を7年もつとめたのですが、会議では、物理学会や天文学会で要職につけなかった二流の物理・天文学者が、いかに物理学がすばらしく、文系はくだらないかという話ばかりしていてうんざりでした。「超自然現象や疑似科学を批判的・科学的に究明する」ことと、オノレの学問観に何の関係があるんだろうって。それで心理学者とか在野の文系がみんな会をやめちゃいましたね。そのうちの一人が、寿岳章子という高名な国語学者の弟で、ずいぶんコンプレックスがあったようです。物理学者として日本学術会議の会員だった池内了さんも、兄が文学者で、池内さん自身は自分も文学書を読んで兄を意識していましたね。

○○賞というのは、しょせん人が選ぶものですから、選ぶ人の主観とか利害関係に左右されるものだとおもいます。国民栄誉賞とか勲章もそうですよね。ですから真剣にそれを目指すほど、どこかで虚しいと思うことがあるとおもいます。ハルキストは受賞よりもそれを目指すこと自体が楽しいのかもしれませんが。
江川卓が20勝したときも、江川はすべての基準をクリアしたのに、数字で上回ったものが何もなかった西本聖が沢村賞をとりました。「空白の1日」でダーティーなイメージのある江川よりも、ドラフト外で2軍から上がってきた西本のほうを応援したいという判官贔屓を、一応数字の基準がある沢村賞ですら持ち込んでしまったのです。
まあその意味では、裁判もそうですけどね。裁判所に10人裁判官がいると、1人は大半の人から「それおかしい」と思われるような判決を出す人で、2~3人は「ややあぶない」人だと、私は複数の弁護士から聞いたことありますが、まあそういう人にあたったら、「事実と道理で正しい」こと以上に「あなたに肩入れしたい」と思わせるテクニックが「正しい」ことなってしまうわけです。これは虚しいですよ。

by いっぷく (2018-10-04 02:43) 

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