SSブログ

●『男はつらいよ 純情篇』の若尾文子、『レイジング・ブル』のオープニング、そして『なにはなくとも全員集合!!』の三木のり平・・・・映画的快楽とは? [「言葉」による革命]

●『男はつらいよ 純情篇』の若尾文子、『レイジング・ブル』のオープニング、そして『なにはなくとも全員集合!!』の三木のり平・・・・映画的快楽とは?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」


『男はつらいよ 純情篇』のオープニングクレジットで、渥美清の次に「若尾文子(大映)」と出るのです。
それを見ただけで、(じん・・・)と来るのです。
あの偉大な若尾文子の名前が、こうして『男はつらいよ』のオープニングに登場する。
劇場であればわたしはそれだけで、「BRAVO!」と歓声を上げたくなる。
例えばわたしは映画『レイジング・ブル』で「ROBERT DE NIRO」とクレジットされる。
それだけで目頭が熱くなる。
流れる曲は『カヴァレリア・ルスティカーナ』からの間奏曲。
体を絞りジェイク・ラモッタと化したデ・ニーロがフードを目深に被りシャドウボクシングをする。
raging bull(https://www.youtube.com/watch?v=wQhwi8kk-dE
これだけでもう、(映画を愛してよかったと・・・)と、魂の底から熱くなる。

『男はつらいよ 純情篇』の若尾文子は彼女の全盛期をかなり過ぎてはいるけれど、画面に登場した瞬間のすべてが凝縮する感触は健在だ。
そして前半で早くも、渥美清、笠智衆、若尾文子が1シーンに揃う時間が用意されている。
映画ファン、少なくとも映画に興味を持つ者であれば、ここでもう陶酔するだろう。
陶酔の度合いに違いはあれど、(うっ・・・)と心で呟き、舐めるように眺める。

そして(ドリフターズの映画って、どんなだろう)という好奇心を中心として観た『なにはなくとも全員集合!!』は、三木のり平の素晴らしさに酔い続けた。
極端な珍芸はこの作品の中ではないが、ちょっとした台詞、ちょっとした表情、ちょっとした所作で発揮される可笑しみ、だけでなく、俳優として、人間としての風格。
これまた現在のお笑い芸人には感じられないものだ。
今のお笑い芸人の多くからは、内面のセコさなどが顕著に感じられるのですね。
金は儲けていても、精神がセコい。
お笑い芸人だけでなく、どこかのシャチョーと、ネット有名人とかにもそういうの多いです。

『なにはなくとも全員集合!!』には丹阿弥谷津子、中尾ミエ、中村晃子、水谷八重子の女優陣も出演している。
だからこそ堅牢にして濃厚な映画世界が可能となっている。
ギャグの中にはさすがに(古いなあ)と感じるものもあったが、わたしにとって意外だったのは、そしてこの作品に関してのみの感想ではあるが、時代の変化により堪えらえるのは、ドリフよりも三木のり平のギャグではないかという感覚。
それだけわたしは『なにはなくとも全員集合!!』の三木のり平に魅了されたのだが、この作品の終盤には(ヒッチコックの映画なのか?)と感じさせてくれるタイトな夜間のカーチェイスもある。

nice!(27)  コメント(1) 
共通テーマ:アート

nice! 27

コメント 1

いっぷく

『男はつらいよ 純情篇』は、寅次郎に(婉曲ですが)面と向かって引導を渡したはじめてのマドンナですね。他のマドンナは思わせぶりでずるいケースが多いです。大映映画では情念の女のイメージがあったのですが、その意味で意外でした。山田監督が他社出演までさせてやらせてみたかったんですね。
宮本信子が伊丹十三と結婚前でしたが、ちょっとブサイクで、でも何となくそそられるいい感じの役でしたね。森繁久彌はまあ、もうちょっと出番が多くとも良かったかな。
吉永小百合がマドンナの時、寅次郎が面倒を見ようとしたのにどうしても結局父親のもとに帰るのですが、その父親が黒澤映画に出た東宝の宮口精二で、森繁久彌もどうせ出るならそういう感じの設定だと良かったのですが、まあ東宝の屋台骨を背負ってきた大物が松竹映画に出た、というところに意義があるのかもしれませんね。

松竹映画の三木のり平は、社長シリーズや駅前シリーズのようなお調子者の台詞や細々した動きで笑いを取るという場面があまり無かったですね。江戸むらさきを出すぐらいで。オーソドックスというか、おとなしめというか、まあ主役と脇役の違いかもしれませんが、そんな感じがします。いつも森繁社長に叱られる役なので、悩める父親、悩める駅長役は見慣れなかったのかもしれませんね。
三木のり平はフランキー堺の「喜劇怪談旅行」にも森田健作の父親役で出ているのですが、こちらも細かいことはしていません。朝食に納豆ご飯を食べているシーンがおいしそうだったので、私もしばらく納豆ご飯の朝食を採り入れていました。
『なにはなくとも全員集合!!』は、グループコントがないので、ドリフらしさという点では物足りないかもしれません。22作の中には、グループコントがあるものとないものがあるのですが、『なにはなくと……』は第一作目なので、普通に作ったんでしょうね。
ドリフは、いかりや長介を中心としながらも、全員にそれなりに出番があるのが、クレージー映画との違いですね。クレージーは7人で大所帯ということがあったのかもしれませんが、植木等をとにかく前面に出して、そこから2歩ぐらい離れて谷啓とハナ肇がいて、犬塚弘の第四の男に桜井センリが猛追して、あとの2人がちょっとおいてきぼり状態になっちゃいました。
でも彼らが仕事ができなかったかというと、石橋エータローなども少ない登場場面でしっかり仕事はしていたと思います。植木等を売るということに懸命になりすぎて、他のメンバーの売出しがその分チャンスが少なかったですね。クレージーが70年代に息切れしてしまったのは、時代のせいもあるでしょうが、そうした格差がついてたたため、植木等がくたびれたらそれっきりというところがありました。
一方のドリフは、加藤茶がくたびれたら志村けんが出てきたように、みんなで盛り上げているところがあったので、映画の本数はクレージーのほうが多いのですが、テレビはドリフのほうが実働期間は長かったように思います。
by いっぷく (2018-11-15 03:39) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。