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ラース・フォン・トリアー、カンヌ国際映画祭追放・・言葉の重み。 [生と死のためのアート]

パリジャン フェノンがなぜラース・フォン・トリアーを嫌っているかというと、「あんなの映画で作る必要がない」というのが理由だ。
特にいつも「ドッグヴィル」のことはけなす。
「あんなの舞台でやれよ」
「映画である」ということにこだわるふぁのンは、ジャン・リュック・ゴダールに対してさえ否定的なのだ。
ぼくはまあラース・フォン・トリアーのような監督がいるのも映画界のバラエティを豊かにするので、特に好きではないけれど、注目はしていた、「次に何をするのか」ということは。

それにしてもカンヌ国際映画祭「追放」とは。
「一つの言動」がこれだけの物議を巻き起こす。
それが国際的な舞台であり、歴史の重さだということなのか。

翻って、日本の政治家、企業家たちの言葉の軽さ、無意味さ・・。

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