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[ダイヤ] 「言葉」による革命 [ダイヤ] 「こんな現状」を変えられるのは誰か?  [「言葉」による革命]

例えば大好きな俳優がいるとします。
その俳優が素晴らしい映画へ出演した。
鑑賞して人生が変わるほどの感動を与えられた。

しかし・・・。
映画が非常に高い評価を受けたにもかかわらず観客動員は思わしくなく、素晴らしい魅力と実力を兼ね備えた俳優はその後望むような役に恵まれず失意の底に堕ちて行く。

このような事態が現に起こっており、これからさらに重症化して行く可能性が高いのが今の日本です。

ではどうすればいいか?

「政治家」や「役人」に任せていても何も変わらないでしょう。


「わたしたち」が変えて行くしかないのです。

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noga


日本語には時制 (tense) はない。
過去・現在・未来のそれぞれの世界を脳裏に描くことは難しい。
前世・現世・来世に関するインド人の教えも、日本語脳では定かでない。
「我々はどこから来たか」「我々は何者であるか」「我々はどこに行くか」といった哲学的命題は考えられない。

理想 (ideal) は、未来時制の内容である。
意思 (will) も未来時制の内容である。
理想がなければ、未来社会の建設計画もない。
意思のないところに方法はない。(Where there’s a will, there’s a way).

意思はなくても恣意 (self-will) はある。
建設的な話はできなくても、出来心はある。
問題解決の能力はなくても、事態を台無しにする力だけは持っている。
政治は遅々として動かない。人々の頭を閉塞感が襲う。

英語のリスボンシビリティ (responsibility) は応答可能性であり、自己の意思により現実対応策を考えて行使するものである。
責任は、自由意思により果たすところが大切なところである。
意思なくしては、責任は果たせない (責任はとれない)。とかく、この世は無責任となる。

ところが、日本人には意思がない。子供・アニマルと同様である。
場当たり的な行動にでるしかない。
未来時制の内容に確信は持てない。不安ばかりが募る。
ただ目的の遂行だけを求められるならば、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことになるのは必定である。

以前マッカーサ元帥は、日本人を12歳と評したことがある。
日本人は彼の評に立腹こそすれ、その意味を深く掘り下げることはしてこなかった。
我々は、浅薄である。秋入学の動きは、浅はかである。だから、留学生は、我が国を避けて英米に行く。
知的な人になるためには、英米の高等教育が必要である。これは国際的な判断である。
英米の高等教育は、奥の深い大人になるための更なる英語の勉強である。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/







by noga (2012-03-11 23:22) 

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