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〈「言葉」による革命〉・・・末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。2015年3月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ、AJスタイルズVSオカダカズチカと猪木VS大木金太郎を比較しつつ、「昭和の濃さ」を考える。

人間について、「濃い」も「薄い」もどちらもあっていいでしょう。
それを誰がどう決めるかはまた別の問題で。
しかし社会全体で見れば、バランスというものが必要だと思う。
などと書いているのは、もちろんそうしたことはいつも考えているのだけれど、久ぶりにテレビでプロレスを観たんです。
新日本プロレスの2014年5月25日、横浜アリーナ、AJスタイルズVSオカダカズチカ。
わたしはかつて熱心なプロレスファンであり、プロレス通と呼ばれても不思議はない(笑)人間だったのだけど、UFCが勃興し始めたあたりからプロレスを観なくなっていました。
まあリングスをプロレスの範疇に入れるのであれば、第1期リングス消滅まではプロレスを観ていたことになります。
大昔の話、高知は全日本プロレスしか中継していなくて、当時はハーリー・レイスとか大好きだったんですが、その後はアントニオ猪木の格闘技路線に夢中。
もともと「一番強い人間」への志向からプロレスを観ていたものだから、UFCやプライドがさく裂し始めるとそちらへ大きく興味が移るのは自然な流れでした。
プロレスもわたしの好みは強烈なキャラクター同士の強烈な対決だったんですが、おそらく「長州力維新軍団」がブームとも言える大人気を博し始めてからプロレスの中身が変わってしまいましたよね。
つまりどんな試合でも「互いに一通り持ち技を出す」というパターンが普通になっていった。
で、AJスタイルズVSオカダカズチカは十年なんてもんじゃないぶりにわたしが観たプロレスだけど、基本的にはわたしが観ていた末期とほとんど同じパターンで、ある意味驚きました。
やはり人間が繰り出す技は、あの時点以上のものはなかなか開発できないものなのだなあと。
AJスタイルズVSオカダカズチカをわたしが楽しめたかというと、正直なところそうでもなかった。
そこででもないんですが、「昭和のプロレス名勝負」の一つ、アントニオ猪木VS大木金太郎を観直してみました。
「ああ、これは濃いわ!」とあらためて感じましたね。
技らしい技はほとんどなく、「濃さ」だけで試合が成立している。
もちろんそれだけではなく、時代背景も大きい。
まだかなりの人たちが「プロレスは真剣勝負、じゃないかなあ~」と思っていた時代でもある。
いや、プロレスの話だけではなく、「昭和の濃さ」「平成の薄さ」という観点はかなり重要なのだと思います。
で、もちろんわたしは、「新たな濃さを獲得するべきだ」という考えです。

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