SSブログ

末尾ルコ詩D「猫、バレエ」篇。〈「言葉」による革命〉・・・「戦場」はどこにあるのか?末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか? [吉高由里子]

[ハート]「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、バレエ」篇。

「猫、バレエ」

どんな時にも心にバレエ!

どんな時にも
ぼくの素敵なネコ!


●〈「言葉」による革命〉・・・「戦場」はどこにあるのか?

※2015年8月8日配信予定 末尾ルコ メルマガ(有料)より抜粋。

〈「言葉」による革命〉・・・「戦場」はどこにあるのか?

戦場だから戦争だから
貴顕なのは当然なのです。

ところであなたにとって「戦場」とは何ですか?
「戦場」はどこにありますか?
国際社会が「戦場」と認めた場所だけが「戦場」なのですか?

(続きは有料メルマガでお願いします)


●末尾ルコ「映画俳優演技論」~テレビ版「デスノート」の「L」も松山ケンイチが演じるべきか?

2015年7月はテレビ版「デスノート」が放送されまして、わたしは観ないのでその内容については触れませんが、やはり映画版と比較する声が目に付きます。
特に「L」。
映画版で「L」を演じた松山ケンイチと比較して「テレビ版はダメだ」という声が目に付くのだけれど、映画版「デスノート」の松山ケンイチは飛び抜けた当たり役であって、それをテレビ版と比較しても意味のないことです。
それよりも中には「松山ケンイチがテレビでもLをやればいいんだ」と考える人もいるようですが、これは原則的にとんでもない話。
ある俳優が映画で演じた当たり役を、同じ内容のテレビドラマを作るからといって「ぜひテレビでも」と依頼したりするのは侮辱だと取られても仕方ない。
例えばジョディ・フォスターに「羊たちの沈黙」の「クラリス」役を「テレビシリーズでもお願いします~」なんていうのはあり得ない。
余程ジョディ・フォスターがお金や仕事に困っていれば別ですが、まあそんなこともないでしょう。
確かに中には標準的な映画よりよくできたテレビドラマもありますが、これも原則として「テレビドラマは表現として映画に遠く及ばない」という認識をできるだけ多くの人が持っていなければならない。
だから「デスノート」のテレビ版ができるという場合、最初から「映画のようなおもしろさ」を期待するのは間違いなのです。
もっとも映画版「デスノート」が傑作だったと言ってるわけではないですが。


[スペード]マスメディアの操作」と「日本人の弱さ」によって膨張した人気者たちは、もちろん本物ではないし、「スター」でもありません。

nice!(14)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 14

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0