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末尾ルコ詩D「猫、ミリアム」篇。末尾ルコ「社会批評」~ベッキー問題の本質と日本社会。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、ミリアム」篇。

「猫、ミリアム」

はわわわわ
うひゃひゃひゃひゃ
久々だから
余計に感嘆!
麗しミリアム
バーレッスン
その脚
足首
そして爪先
正確、
柔らか、
強靭、
優雅!
ああミリアムの
ミリアム・ウルド・ブラムの
バーレッスン!

・・・・・・

たとえミリアムでも、
ぼくは
ぼくの素敵なネコの方に
ずっと惚れているのさ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●末尾ルコ「社会批評」~ベッキー問題の本質と日本社会。

・わたしはベッキーについて、「不倫をした・しない」とかいう話題以前の問題で、「ベッキー的テレビタレントはいらない」という立場です。
まあべッキーだけでなく、基本的に地上波のバラエティ番組なるものを観ませんが。
あの絵面だけでも、美的にも精神衛生的にもよろしくない。
さらに音声、そして何よりも中身。
ついでに言えば、お笑い芸人もタモリとビートたけしまででクオリティはストップしている。
とんねるずやダウンタウン以降のお笑いは閉鎖空間でうじうじ展開されている内輪ウケの世界でしかない。
お笑いの中に知的刺激がほどんどないのである。

とは言え、「たまにおもしろい」と感じることはあります、滅多に見ないけれど。

ベッキーのようなテレビタレントがいても別にいいのだけれど、要するに「ほとんど何も無い」人間があれだけ稼いでいいのか?という問題だろう。
「稼いでいる人間に対する嫉妬」などという低次元の問題ではなく、芸能界内においても「稼ぎ」のバランスが極めて悪いのだ。
「日本映画は稼げない」という事情があるにせよ、力も魅力もあり、作品のために命懸けの努力も惜しまない多くの俳優たちよりも、「ベッキーがCM出演で稼ぐ金の方が上」という事態が問題なのだ。

ここに
「需要供給の関係だから」だの
「市場原理だから」

などとおめでたい原則を当て嵌めてはならない。

ここにわたしが見るのは、

「日本社会・日本人精神のゆがみ、あるいは愚劣化」だ。

あ、わたしは日本を愛する(いささかフランス人的)日本人であり、すべて「日本を愛するがゆえ」の発言です。
お間違えのなきよう。
はい。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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