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〈「言葉」による革命〉・・・●末尾ルコ「お話は、『あの日の声を探して』から、『ドクトル・ジバゴ』のジュリー・クリスティ、その表情へ」。2017年9月7日 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ「お話は、『あの日の声を探して』から、『ドクトル・ジバゴ』のジュリー・クリスティ、その表情へ」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

ミシェル・アザナヴィシㇱウス『あの日の声を探して』は実に力の籠った映画で観応えたっぷりだったのだが、フランスでの評価が低いのには驚いた。
『ル・モンド』と「カイエ・デュ・シネマ」の両方で最低点を点けられている。

という話を書こうと思っていたら、ふとYouTubeで映画『ドクトル・ジバゴ』の「ラーラのテーマ」を聴いてしまって、いや、つくづく、いいなあ、と。
デヴィッド・リーンの『ドクトル・ジバゴ』。
映画作品の完成度としては高くないが、この「ラーラのテーマ」が素晴らしく、それに加えていくつかのシーンが見事なイメージとして重なる。
しかし何よりも『ドクトル・ジバゴ』が高くない出来に関わらず捨てがたいのは、ラーラ役のジュリー・クリスティの存在による。
ジュリー・クリスティのいつも思い詰めたような切羽詰った表情。
決してロシア的ではない顔立ちだが、その表情が、ロシアの厳寒の中、歴史と運命とに翻弄されながらも「人間存在」として生き続けようという女のイメージを創造しているのだ。

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コメント 1

hana2017

デヴィッド・リーンの「ドクトル・ジバゴ」については以前も、こちらで全体的には落胆したと書いているかと思います。
しかし「ラーラのテーマ」の素晴らしさに異存はありません。
オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ共に、確かにロシア人ぽさは感じられませんね。
D・リーン監督作の「ライアンの娘」でのサラ・マイルズ、彼女のもつ雰囲気は作品のムードにピッタリだったと思います。

俳優の演技が「大袈裟で、陳腐である」‥のは、K国ドラマの中だけと思っていましたが、フランス人から見たら同じなのかしら?
ドラマの内容にもよると思いますけれど、そうした演技にまでもっとわかりやすくとか、ストレートにと言ったスポンサーからの要求があるのでしょうか。
by hana2017 (2017-09-07 22:32) 

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