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末尾ルコ詩D「猫、ヴィヨン」篇。末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、ヴィヨン」篇。

「猫、ヴィヨン」

ヴィヨン
高熱がある夜も
フランソワ・ヴィヨン
高熱があるからこそ
フランソワ・ヴィヨン
だったそれは
高熱を持ったポエジー

・・・・・・

どんなに高熱があったとて、
ぼくの素敵なネコが一番さ!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)


●末尾ルコ「ウルグアイ映画『雨があがったら』が楽しめる理由。」

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

莫大な予算をかけて作った映画がおもろいとは限らず、実績、実力、カリスマ性などが揃ったスター俳優が熱演してもおもしろくなるとは限らない。
そして入り組んだストーリーと演出を駆使しても、おもしろくなるとは限らない。
ウルグアイ映画の『雨があがったら』
雨があがったらを観ていると、よりそんな事実を再認識するのである。
『雨があがったら』の監督はアナ・ゲバラと レティシア・ホルヘで、脚本も同じ二人による。
出演は、ネストル・グッシーニ、マルー・チョウサ、ホアキン・カスティリョーニ。
この三人は「父親、長女、次男」という役回りで、両親は既に離婚しており、映画のシーンは「父親と子供たちの面会日」だ。
『雨があがったら』というタイトルから連想されるように、出だしからよく雨が降る。
特に風光明媚なロケーションでもなく、いかにも「ウルグアイのその辺」という殺風景な風情だ。
しかしそんな地域が降り続く雨のためにいかにも映画的に鑑賞することができる。
淀川長治言うところの、「雨や風の表現は舞台ではできない」を実証しているかのような内容だ。
子どもたちの前でも女にだらしない父親。
不良ぶりたい長女は頭の悪そうな少年に気を惹かれるが、その少年はもう一人の、少女の割にはゴージャスな女に執心だ。
出鱈目な父親がふと見せる「父親としての責任感」も好ましい。


●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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