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●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか? [「言葉」による革命]

●林寛子の「カモン・ベイビー」と麻丘めぐみの「わたしの彼は左きき」は同時代なのか?

末尾ルコ「昭和文化史で知性と感性を鍛えるレッスン」

林寛子の「カモン・ベイビー」がアントニオ猪木VSモハメッド・アリと同じ年、つまり1976年の歌だったという事実にけっこう驚いたわたしだが、YouTubeで観た林寛子は現在のAKBなえんたら系のアイドルなどよりずっとクオリティが高く見えた・
もちろん「日本のいわゆるアイドル歌手」に対して「クオリティ」という概念を持ち出す意味があるかどうかとも思うけれど。
しかし「カモン・ベイビー」当時の林寛子は顔立ちも整い、声も大人の声をしている。
「単体」でもともと勝負できず、「大人数パッケージ」でどうにか売っている今のアイドルとはずいぶん違う。
そこで麻丘めぐみである。
幼い頃、(お、このお姉さん、いいじゃん!)と思ったアイドルの一人である。
その代表曲は、「わたしの彼は左きき」。
そしてわたしの記憶の中では、林寛子と麻丘めぐみはだいたい同時期に売れていた印象があるのだが、果たしてどうか?

ということで調べてみると、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」の発売は1973年となっている。
うーむ、3年間ほどの違いがあったのだね。

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いっぷく

麻丘めぐみは、ヘアスタイルと個性的な目がすごくインパクトがあって、最初は戸惑いながらも、だんだん気になって、次第に忘れられない顔になりました(笑)
林寛子はもう、誰が見ても文句なしのカワイコチャンで、子役時代のヒップがこれまた忘れられない存在でした。
麻丘めぐみは森昌子らと同じ頃出ましたよね。
たしかレコード大賞の新人賞は麻丘めぐみで、放送音楽新人賞は森昌子で分け合ってますね。
でも森昌子はデビュー曲の「せんせい」が、今風に言えばキャリアハイだったのに比べて、麻丘めぐみは翌年の73年に「わたしの彼は左きき」がさらなるヒットをして、74年暮れからはカップスターのCMソングが当たるなど、続けざまに露出していました。
林寛子が子役からアイドルとして路線をかえたのは、73年(『君こそスターだ!』第一回グランドチャンピオン受賞した年)で、鶴光のラジオや「学校そば屋テレビ局」に出るようになって、テレビで歌をうたうようになったのは74年の下半期ぐらいからですから、2人の活躍時期は重なっています。
その当時の、月刊明星や平凡には、2人とも出ていると思います。
私は林寛子の歌というと、「白い窓辺」からですね。知っているのは。これは74年の暮れには歌っているので、麻丘めぐみが「カップスター、食べたその日から、味のとりこに~」と歌っている時期と重なります。
私はその後、男子校に入ってしまい、月刊明星や平凡とは少し距離ができてしまったのですが、78年の「頑張れレッドビッキーズ」は、林寛子の何かを詰めたようなもりもりヒップ目当てに見てました(笑)
by いっぷく (2017-01-28 01:09) 

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