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●『20センチュリー・ボーイ』もあった1973年(から1974年)を彩った、あの『なみだの操』とは?? [「言葉」による革命]

●『20センチュリー・ボーイ』もあった1973年(から1974年)を彩った、あの『なみだの操』とは??

●末尾ルコ「昭和文化史で知性と感性を鍛えるレッスン」

1973年。
それは『エクソシスト』が公開された年である。
いまだ『エクソシスト』を超えるホラー映画は出現してないと断言できる。
ロック・シーンにおいては、ローリング・ストーンズ の『悲しみのアンジー』、T・レックス の『20センチュリー・ボーイ』、そしてロック・アルバムとして普及の大傑作となるピンク・フロイド 『狂気』も1973年である。
しかし何か忘れてないだろうか?
日本人の心をある意味震わせた、かどうかはさて置いて、今の日本に欠落しているフィーリングを持ったあの歌のことを。
そう、『なみだの操』。

『なみだの操』である。

熱唱するは、殿さまキングスの宮路おさむ。
しかし、「殿さまキングス」ってねえ。
そしておじさまたちのグループが、「男に捨てられたくない」という女ごころを、しかも痛快に歌い上げる。
「痛快に」である。
この不可解な世界を、頑是ない子どもだったわたしは歌詞の意味など考えずに熱唱していた・・・ような記憶がある。
この「痛快さ」、そして意味不明さ、J POPの連中も、ちっとは見習え!である。

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いっぷく

『なみだの操』ですか。この頃は、歌謡漫談やコミックバンドで食っていた人たちが、レコードを積極的にリリースするのが流行していて、ミュージカルぼーいずとか、ぴんからトリオとか、出してましたよね。
めが出ていない俳優が、特撮の肉体仕事や学園モノの若さだけが求められる生徒役などに出ながらチャンスを待ち、やっとそれ以外のドラマや映画のいい役に抜擢されるようなものでしょうか。
殿さまキングスはデビュー曲ではなかったと思いますが、ぴんからトリオが大当たりしたので、チャンスを引き続きもらえたんでしょうね。
西川峰子の『あなたにあげる』と、殿さまキングスの『なみだの操』は同じ頃に出てますが、どっちも似たようなモチーフの歌だからか、ストリップ劇場では、必ずこれがかかるんですね(笑)
プロレスのブルーザー・クラッシャー組ではありませんが、2つの歌はそれぞれヒットした歌ですが、でもふたつセットというイメージが今も強いです。

そういえば、ジンキニスキーは、初来日が第6回ワールドリーグのときで、豊登が優勝していますが、豊登対馬場の試合をせずに豊登を決勝に進出させた不透明な決め方で、馬場を評価していた(豊登を評価していなかった?)キニスキーは、東スポの桜井康雄の取材で、「これはおかしい」とガチで不満を述べたものの、当時の東スポにそれを書くことはできなかったと、「劇録馬場と猪木」で書いてますね。
そして、2度目の来日の時はNWAチャンピオンだったものの、日本プロレスがNWAに未加盟だったために防衛戦ができず、馬場のインターに挑戦しているのですが、3本目に馬場にたしかコブラツイストをかけられて、世界チャンピオンがギブアップ負けか、と思われた所、レフェリー沖識名のシャツを破いて反則負けを選んだことがあり、ああ、NWA選手権もこうやって地元のレスラーにヤラれて綱渡り防衛してるんだな、と思いました。「タイガーマスク」で、ドリーがタイガーと戦って同じことをやってましたね(笑)ドリーは日本ではそれはやっていませんでしたが、アメリカの各地ではやっていたんでしょうね。
by いっぷく (2017-02-15 02:27) 

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