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●硬膜下血腫で緊急手術の新日本プロレスの柴田勝頼~プロレスの試合で死者を出さないために。 [「言葉」による革命]

●硬膜下血腫で緊急手術の新日本プロレスの柴田勝頼~プロレスの試合で死者を出さないために。

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

新日本プロレスの柴田勝頼が硬膜下血腫で緊急手術したという。
オカダカズチカと激しい試合をした直後に体調不良を訴えたという。
新日本プロレスではこれより少し前、本間朋晃が試合中の負傷で中心性頸椎損傷と診断されて欠場中だ。
このような事態が続いたから言うのではなく、以前から新日本プロレスの試合内容はとうに限界を超えていると感じていた。
多くの試合で、試合開始から決着がつくまで危険度の高い技を連発する内容。
より高いところから、より危険な角度で落とし、落ちる。
マット状だけでなく、場外の鉄柵にぶち当たり、クッションを敷いてない床の上でも投げ技を出す。
しかもその展開が、(いつまで続くんだ)と思うほど延々と繰り返される。
さらに言えば、プロレスラーは一般のプロ格闘技と違い、2カ月や3カ月に一回とかいうペースではなく、シリーズ中は連日のように試合をこなしていかねばならないのだ。
従来であればプロレス技というものは、どんな大技でも、「きちんと使い・きちんと受け身を取れば」、大きな怪我は防げるものだった。
ところが今の新日本は、「従来の受け身が成立しない技」が数多い。
はっきり言って、「いつ死者が出てもおかしくない」状態だ。
一時は存亡の危機に立たされ、そこから曲がりなりにも「ブーム」と呼ばれるまでに盛り返した新日本プロレスの試合内容を今大きく変えることは難しいかもしれないが、この辺りで「昭和のプロレスはなぜおもしろかったのか」という点を一から見直し、試合内容を組み立て直していくべきなのだろうと思う。

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いっぷく

過酷なプロレスは、やはり全日本の四天王プロレスからなんでしょうね。
それ以前に、ハンセンや長州がセオリーのないプロレスを始めたことも伏線かもしれませんが、道場の鬼コーチがいなくなったこともあるでしょうね。
前座は派手な技を使わない、というのは、崩してはならないプロレス興行のセオリーだったように思います。
そこを無原則にしたことで、結果としてメインやセミに必殺技のインフレを強いることになったのではないかと思います。
昭和のプロレスを知っているベテランが、それを教えなければなりませんでしたが、マシオ駒が亡くなり、ミツ・ヒライが引退し、高千穂がアメリカに行き、山本小鉄がクーデターに失敗して新日本体からはずれ、魁勝司がアントニオ猪木に幻滅してUWFに行き、新日本も全日本も、道場はプロレスの振る舞いや技の危険度を知るところではなく、たんなるトレーニング場になってしまいました。
全日本で言えば、グレート小鹿や大熊元司がその役割をすべきでしたが、小鹿はむしろマシオ駒に批判的だったですし、大熊も人を束ねたり統率したりという力があるという話は聞いたことがないので、それは望むべくもありませんでした。
新日本も、星野勘太郎は、道場で練習はせず、こっそりどこかのジムに行くタイプだったようなので、道場で睨みをきかせる人がいなかったですね。
山本小鉄が生前、自著で述べていたように、マシオ駒が生きていたら、日本のプロレスの歴史はかわっていたのではないかと思います。

「エジプト3人娘」というのは、まだ映画が活発に作られていた1966年に、エジプトで開催された「日本映画見本市」に出席のため、それぞれ所属映画会社は違いますが日本を代表して向こうに行っているんです。
中真千子は若大将の妹とか、社長シリーズの娘役とか、ずいぶんいい役を当時演じていたんですけどね。映画が廃れて、うまくテレビでポジションを得た人が残り、序列も映画時代とかわりましたね。
by いっぷく (2017-04-12 01:57) 

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