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●ついにわたしは見出した!リンリン・ランランとゴールデンハーフのあまりの相違点を!あるいは、杜このみ『残んの月』。 [「言葉」による革命]

●ついにわたしは見出した!リンリン・ランランとゴールデンハーフのあまりの相違点を!あるいは、杜このみ『残んの月』。

末尾ルコ「音楽の話題で知性と感性を鍛えるレッスン」

最近リンリン・ランランを観て、その得も言われぬ不可思議感に軽い頭痛を催しつつ5月の夜を眺めたわたしであるが、凝りもせずにゴールデン・ハーフの動画を視聴してしまうとはいかなる仕儀かと思わなくもないが、実のところそんな壊れた自分が嫌いではないのがわたしなのである。
日本人は「自己否定」感覚の人が多いのであるが、自己中心とか過度なナルシシズムでなければ、基本は「自分が好き」であるべきだと常々思うわけです。
あなたも「自分を好き」になってくださいね。
と言ったお話をするつもりで書き出したわけではなく、「杜このみの『残んの月』がいい!」と主張するつもりで書き出したわけでもなく、いや、それは実際「いい」のだけれど、この度ゴールデン・ハーフを視聴することで、子ども時代に曖昧だった事実を発見したのである。
つまり、
「ゴールデン・ハーフとリンリン・ランランはぜんぜん違う!」
・・・・・・
すごく馬鹿馬鹿しいことを書いてしまった気もするが、わたしの中でずっと曖昧に(似たようなもの)だったリンリン・ランランとゴールデン・ハーフの相違が明確になった瞬間なのである。
その相違を簡単に言えば、リンリン・ランランは「原則イロモノ的」であるのに対し、ゴールデン・ハーフは「かなり本格ポップグループ的」だということだ。
プロポーションも、リンリン・ランランが小柄で「ずどん」とした体形なのに対し、ゴールデン・ハーフはスラリとしてしかも十分にセクシーである。
ゴールデン・ハーフの持ち歌は米国ポップスのヒット曲のカバーが多く、当然楽曲はいいわけで、しかも「ゴールデン・ハーフのアダムとイヴ」などはベースラインの音も本格的だし、振り付けも大人のテイストに満ちていて観応えがある。
まあ、どうやらステージでは口パクのようではあるが。

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いっぷく

SMAPが実は森且行を売り出したくてあとは付け足しだったように、ゴールデンハーフはマリア・エリザベス(森マリア)を売り出したかったみたいですね。彼女がセンターで、あとの4人は後ろで彼女を引き立てているというジャケット写真がありましたね。でもすぐにタイとのハーフの石山が抜けたので、4人になって、全員が横一線に並ぶようになってしまいましたが。
8時だよ全員集合にレギュラーで出ていて、エバがああいう形で人気が出てしまったのですが、本来はちゃんと歌うグループでしたね。「バナナボート」はカバーのカバーでしたが、浜村美智子よりもゴールデンハーフのイメージです。私が一番好きな楽曲は「チョットマッテクダサイ」です。ジャケットはミニで手を上げていますが、番組で歌っていたときは、もっと落ち着いた感じでしたね。個人で歌う部分が多かったので、みんなの顔が立っていいなと思ってました。後に、マリアの初体験の相手がおりも政夫と聞いてちょっとしょんぼり(笑)
その後、2匹目のドジョウ狙いか、ゴールデンハーフスペシャルが出てきて、一応そっちも注目していたのですが、豊川誕がジャニーズ事務所にいる頃、リーダーと付き合っていたと最近になって告白していました。
ジャニーズ事務所、いいかげんにしろよと思いましたよ(笑)
ただ、そこで私はジャニー喜多川なるほどなと思ったのは、ジャニーズ事務所は熱愛交際結婚のたぐいは当時からご法度なわけですが、それは、女性ファンががっかりして離れていくからだと思ったんですね。でも豊川誕に対して言ったのは逆で、特定の好きな人ができてしまうと、女性ファンの心をつかんでやろうという欲が失われるから、といったというんですね。同じことを、山口百恵をプロデュースしていた酒井政利が言っていて、三浦友和と婚約した山口百恵が『愛染橋』でコケた時、こう言っています。
「一億人の娼婦になれー!/私たちスタッフは、そんな思いと意気込みで仕事を進めてきた。ところが、その山口百恵に恋人がいることを世間に宣言してしまったのだ。スタッフに与えた影響は大きかった。/この娘は恋をしているんだ! と思ってしまうと、つい情に流されて、つくる歌もパンチを欠くことになる。この頃の歌が『しなやかに歌って』や『愛染橋』である」(『プロデューサー』)。
酒井政利の分析をもう一度平たくまとめると、酒井政利は、売り上げが落ちたことについて、ファンが落胆したから売り上げが落ちてしまった、ではなく、つくる側のモチベーションに原因を求めているんですね。
名プロデューサーの発想は共通していることが、面白いと思いました。
by いっぷく (2017-05-29 01:22) 

hana2017

ゴールデン・ハーフとリンリン・ランラン・・・私的にもどちらもイロモノの範囲でしかありませんでしたけれど・・・。
ゴールデン・ハーフは確かに、ドリフのイメージが強すぎました。歌、ダンス共にそれ程本格的であったとは気がつきませんでした。一定の基準が存在していた時代であったと言う事なのかしら。
それに引き替え、テレビに出ているハーフタレントをはじめとする、芸ノー人と自称するタレントたちの中身の薄さ、それをカバーするバカ騒ぎの数々。
早朝から深夜まで延々垂れ流す番組数が多過ぎる!
しかしそれは需要があることの裏返しであり、世の中余程暇な人間が多い。・・・などと自分だって、人の事は言えませんけどね^^;


by hana2017 (2017-05-29 09:43) 

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