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●(わたしにとって)「見ぬ憧れの強豪」ラテンの魔豹ペドロ・モラレスとMSGの熱狂。 [「言葉」による革命]

●(わたしにとって)「見ぬ憧れの強豪」ラテンの魔豹ペドロ・モラレスとMSGの熱狂。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

全日本プロレス時代からプロレスファンになり、新日本プロレス放送も高知ではずいぶん遅れて始まったという災難に苦しんだ(笑)わたしにとって、「憧れ」だが「動く姿を見たことない」強豪レスラーの一人がペドロ・モラレスだった。
見たことなかったレスラーは数多くいたが、「憧れ」となるのはもちろんそうそう多くはなかった。
ペドロ・モラレスはまずこの名前の語感がカッコいいし、なにせ「ラテンの魔豹」という日本でつけられたニックネームがカッコいい、そして180センチ足らずという小柄ながらバランスの取れた身体とラテン系の引き締まった顔だちもカッコいい・・・という、「カッコいい」がたらふくてんこ盛りのレスラーだと感じていた。
そして今、ペドロ・モラレスの動画など、たらふくてんこ盛りで視聴できるではないか。

というわけで、「FULL-LENGTH MATCH - MSG - Pedro Morales vs. Ivan Koloff」という動画を視聴してみた。
相手は「ソ連ギミック」で鳴らした「ロシアの怪豪」イワン・コロフだが、あの剃り上げた頭と顎髭はレーニン風なのだろうな。
それにしてもイワン・コロフ、岩のようにぶっとい。
本当はカナダ出身という経歴のようだが、この身体は「ロシア人」と名乗るに説得力がああったはずだ。

そして試合。
なかなか組みにいかず、コロフによる観客の憎しみを煽る「タメ」がしばらく続く。
モラレスがヘッドロックの体勢に入っただけで、大歓声である。
モラレスはコロフの巨体をオーソドックスに首投げで翻弄し、またしてもヘッドロック。
そしてその体勢のままコロフの頭部を揺さぶる度に、観客から調子を合わせた声援が上がる。
モラレスがコロフを立ったままヘッドロックで痛めつける・・・この形態自体が十分に美しい。
あたかもロダン作の力感溢れる彫刻のようである。
コロフも反撃に出る。
モラレスに腰をつかせ、フェイスロックで痛めつける。
このポジションも実にいい。
しかしコロフのキックなどの「当たり」は実に軽微だ。
モラレスはパンチ攻撃で反撃に出る。
劣勢となったコロフはモラレスに握手を求める(笑)。
警戒して(笑)それに応じないモラレス。
手四つの力比べでは形勢不利なモラレスだが、鮮やかなモンキーフリップで観客を沸かす。
コロフはその体格に相応しいベアハッグでモラレスを窮地に陥れる。
「ベアハッグ」はMSGの帝王として君臨したブルーノ・サンマルチノの得意技でもあり、米国のプロレスではとても重視されていた技だ。
その後、コロフのフライングボディプレス、モラレスのフライング・ボディ・アタックなどの大技展開が続き、コロフがバックを取り持ち上げようとするとモラレスはコーナーを蹴る。
そのままの体勢で両者倒れ込むが、レフェリーが下になったコロフに対してスリーカウントを取り決着。

いや、シンプルながらおもしろく、見応えのあった試合。
いろいろ新たに気づいた点もあった、充実の20分足らずだった。

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いっぷく

モラレスは押し出しがよいレスラーでしたね。ルックスも体つきも、試合もみんなかっこよくてよかったです。サンマルチノが休んでいる間、WWWFベルトを守りましたしね。サンマルチノがモラレスに負けるのではなく、イワン・コロフをつないだんでしたね。馬場からロビンソンに直接移動しないで、トーア・カマタをはさんだPWFヘビーみたいなもんですね。

子供の頃は、外人レスラーは悪いやつという思いがありましたが、ペドロ・モラレスだけは別で、それはなぜかといえば、ジャイアント馬場に32文をアドバイスしたから(笑)
「ジャイアント台風」にそう書いてあって、でも一方でフリッツ・フォン・エリック戦のオデッサの惨劇は架空の話で、しかもそのときの参謀のデューク・ケオムカとの関係も、ミノル少年の存在も全部作り話だったわけですが、珍しくペドロ・モラレスの話だけは本当でした。
http://xn--zckzczcd7076bwdw.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_97b/xn--zckzczcd7076bwdw/babalos.jpg

1970年暮れ、馬場がジン・キニスキーに負けてインターナショナル選手権を取られて、ロサンゼルスまで取り返しに行くという展開だった時、馬場の控室に、ロス(WWA)でチャンピオンになったモラレスと、当時UNチャンピオンだったレイ・メンドーサが来て、メンドーサは馬場の日本プロレスのジャージまで借りて3人で記念写真を撮っているのです。馬場はキニスキーとの試合を控えているのにニコニコしてるし。わざわざジャージを着る、つまり服の貸し借りをして写真を撮るというのは、何かメッセージがあるんでしょうね。
いずれにしても当時子供の私としては、馬場がモラレスだけでなくメンドーサとまで仲良くしていて、しかも、ザ・デストロイヤーも、「馬場よタイトルを取り返して私とまた戦おう」というメッセージを東スポで発表していたので、日本人=善玉、外人=悪玉で敵対と単純化できなくて戸惑いました(笑)
馬場は16文キックも、最初はスカルマーフイーに指示されて始めたらしいですし、巡業中のスナップ写真でも、ジ・アラスカンやゴリラ・モンスーンなどと親しくしているのを見ました。
後に、猪木の側近だったジョージ土門が、馬場がトップをとれたのは、周囲が馬場を押し上げてやったみたいなことを言ってますが、それは現象として嘘ではないでしょうが、周囲がそうしたくなったのは、馬場のレスラーとしてのセンスや、フレンドシップもあったからだろうと思います。そこを見ていないジョージ土門は、つまらない発言をしたと思いますね。
by いっぷく (2017-09-22 01:37) 

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