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●カヌーの薬物混入、競泳の暴力・・・それに対する処分・ネット民の反応・メディアの扱いをプチ検証。 [「言葉」による革命]

●カヌーの薬物混入、競泳の暴力・・・それに対する処分・ネット民の反応・メディアの扱いをプチ検証。

末尾ルコ「社会観察で、知性と感性を鍛えるレッスン」

カヌー選手が他の選手の飲み物にドーピング違反となる薬物を混入させただとか、水泳の選手が後輩を殴って怪我させただとか、これだけ大相撲を含めて(いちおう)スポーツ界における暴力問題が取り沙汰されているのに、(まだやるか?)と呆れてものが言えなくなるのであるけれど、マスメディアの扱いはさほど大きくない。

しかしマスメディアの問題の前にこれら「事件」を振り返っておこう。
カヌーの方は、

「人の飲食物に異物を混入させる」

わたしの常識ではこれはとてつもなく悪質な犯罪である。
今回は「ドーピング違反となる物質」だったわけだが、「毒物」だったらどうなる?

「人の飲食物に異物を混入させる」可能性のある人間が身近にいるような社会でまともな日常生活は送れない。
当然のことではないか。
これに対しての「処分」は、「8年間の資格停止」、そして「除名処分を3月の理事会に提案」なのだという。
しかしこれは、刑事事件にも匹敵する重大犯罪だと思うのだが。

そして競泳日本代表の小関也朱篤が後輩に暴力をふるった事件。
「炊事に遅れた」後輩に対して暴力を加えたということだが、この件に対する所属企業ミキハウスの処分は、

「3月末までの対外試合出場自粛」
「代表活動の辞退」
「減俸」

しかし「大人」が(「こどもでも」だが)社会で「暴力をふるう」と「傷害罪」という犯罪行為である。
「3月末までの対外試合出場自粛」とは、もうすぐ「3月」なんですけど。

そしてYahooのコメント欄などを少し覗いただけでもネット民、「遅れた方が悪いので、殴られて当然」という「ご意見」が続々寄せられている。
もちろんそれに対する反論もあるのだが、「炊事に遅れて、殴られて当然」と普通に考える日本人が多いことにあらため(ああ、まだかなりヤバい国だな)との思いを強くする。

ところでこの2件、「マスメディアのお祭り」と化した「日馬富士・貴乃花劇場」と比べるといかにもメディアの扱いが小さい。
要するにマスメディア、そして多くの企業は、「オリンピックでがっぽり稼ぐ」腹積もりなもので、そのノリにできるだけ水をかけたくないのだろう。

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いっぷく

親(特に父親)が子を、先生が生徒を、先輩が後輩をなど、目上の人が手をあげても(必要悪の?)教育であるという考え方が我が国では再生産されてきましたね。
江戸時代以前の武士道には「体罰」などという概念はなく、明治維新後に欧米の教育を持ち込んだ際、富国強兵や国力増強に「導入」されたものと指摘する人はいますが、いかがお考えですか。
いずれにしても、その前提で、殴られて当然、という考え方が潔いと勘違いしている人がいるのではないでしょうか。
私が小学校の時、掃除の時間にふざけていて、担任の先生にげんこつを食らったことがありました。その時、「僕が悪かったので殴られて当然です」と反省文を書いたら、その担任は「殴られて当然という考えは間違っている」とまた怒っていました。
そもそもあんたが殴ったんだろうと今ならもちろんそこを問題しますが、子供の頃は素直だったので、そこでまた私は自分を責めていました。
その頃からすでに体罰は禁じられていたはずですが、そんなルールはあってないようなものでしたね。
そして、私も目上の人の暴力を否定していなかったのです。別に殴られることをよしとしていたわけではないですが、先生という目上の人が絶対だったんですね。

私は今、自分の親や親類の悪い振る舞いを、こちらでも批判的に振り返らせていただいてますが、情と事実判断(ことの良し悪し)を区別できない限り、結局は目上の人の「誤り」を否定することはできないという思いがあります。
親である人の中には、杉田かおるや松本明子のような子が親に翻弄されているニュースで、私が親の側を批判することを認めることができないようで、私が親に感謝の気持ちがないかのような反論コメントを書いてきます。
もちろんその件自体の考え方はいろいろあっていいですが、親子関係における親の立場の優位さを守りたいという自己正当化がミエミエで、真面目な議論は無理だなあと悲しくなります。

>市や芸能人が「成人式のやり直し」をしてやろうとか、他の晴れ着関係の企業が「叶わなかった晴れ着姿を実現」とか、そのような「支援の輪」が紹介されておりました。

なるほど、そういうことでしたか。着るものが主役なんですね。
私はずっと結婚式など不要という考えなのですが、昔お付き合いしていたある女性は、「きれいな衣装を着てみんなに祝ってもらいたい」という考えをもっていて、それで気持ちが離れて自然消滅したことがありました(笑)たぶんその考えは、少なくとも当時の多くの女性がもっていたと思うのですが、今も変わらないのですね。
今は絶縁しておりますが、妹が結婚した時、夫、つまり私の義弟の意思で親類だけ呼んだ地味な披露宴をしたら、義弟の父親が「こんな式ですみません」というような挨拶をしていましたが、それはあんたの息子夫妻に失礼だろうと私はそのオヤジに腹がたちました。
その後オヤジは、夫が亡くなったときも、勤務先が大きな会社だったため(某京電力)何百人も呼んだ派手な葬式をしたのですが、若くして息子を亡くしたのはお気の毒としても、家族葬や直葬が増えつつあるときに、いかがなものかと思いました。葬祭は相互主義ですから、逆に私の妹がその人たちの葬儀にかけつけるのか疑問だったからで、げんに妹はそのほとんどに出ていません。ま、親の面倒もみないくらいですから、他人の葬式に気を配れるわけがないのですが。

by いっぷく (2018-01-18 10:44) 

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