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●「満州出身」ギミックも愉しいゴリラ・モンスーンとの対決を観ながら、馬場のセメントにおける強さとあまりに華やかな脳天から竹割を検証。 [「言葉」による革命]

●「満州出身」ギミックも愉しいゴリラ・モンスーンとの対決を観ながら、馬場のセメントにおける強さとあまりに華やかな脳天から竹割を検証。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ゴリラ・モンスーンは本名をロバート・ジェームズ・マレラと言い、イタリア系アメリカ人であって、まずは「ジノ・マレラ」というリングネームで活躍したが、WWWFマットで「ゴリラ・モンスーン」と化した。
しかも「満州出身の元アジア王者」というギミックだったという。
ゴリラ・モンスーンの顔はどう見てもイタリア系の二枚目で、その面立ちだけを取れば、イタリア映画の主役でもおかしくないほどだ。
ニューヨークの観客はこのゴリラ・モンスーンを見て、本当に「満州出身」だと信じていたのだろうか。
いくらなんでも皆信じていたなんてことはないだろう。
それでもこうしたギミックが成立し、人気レスラーとなっていたこと自体、かなりのプロレスファンが「信じていた」ことを示してはいないか。
しかも「中国」ではなく、敢えて「満州」にしているのがおもしろい。
当時の米国人にとって、「満州とはいかなる存在だったか」という点にも思いを馳せることのできるエピソードだ。
しかも「ゴリラ」で「モンスーン」。
一度聞いたり見たりすれば、まず忘れることはないだろう。
ただそれは、レスラーの存在感が本当に「ゴリラ」で「モンスーン」でなければ言葉だけが躍ってしまう。
仮にブルーザー・ブロディであっても、「ゴリラ・モンスーン」とは名乗れなかっただろう。
それほどまでにゴリラ・モンスーンは「ゴリラ・モンスーン」そのものなのだ。

YouTubeで、次の動画を観た。

【日本プロレス】 ジャイアント馬場敗れる!! vs ゴリラ・モンスーン(https://www.youtube.com/watch?v=4ih3cjXLFGQ

2mを超える巨体と2m近い巨体の対決だ。
二人のレスラーがリング上で動くだけで、既に十分なスペクタクルである。
(やはりモンスーンの腕、馬場よりかなり太いな)などと思いながら試合を観ていた。
「全盛期の馬場はセメントでどれだけ強かったのか」という点も、今となっては実に興味深いテーマである。
今のところわたしの考えは、「体格に差のあるほとんどのレスラーは、スタンド状態の打撃でぶっとばされるであろう」だ。
しかしゴリラ・モンスーンほどの巨体が相手であれば、しかも米国カレッジ時代にアマレスの猛者としてならしていたという実績を考えれば、タックルで倒されて、その後は何もできないかもしれない。
ただ、「体格に差のあるほとんどのレスラーは全盛期の馬場をグラウンドに誘い込めなかったのでは」とわたしは考えている。

それにしても馬場が大上段に振り上げる「脳天から竹割」の華やかさときたら。
右腕を振り上げた瞬間、リング状に大輪の花が咲き誇ったかのごとき豪奢な技だ。

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いっぷく

馬場対モンスーン、実に懐かしい試合です。第11回ワールドリーグの開幕戦で、馬場がモンスーンに負け、猪木がブラジルに負けて、東スポが「日本陣営危うし」と煽ったんですね。そのモンスーンが後半山本小鉄に負けるという展開はちょっとなあと思いましたけど。
試合当初、モンスーンがヘッドロックからパンチを浴びせて、「グーではなくパーだよ」とゼスチャーをしたら、馬場も同じことをやって返して客席を温めましたが、猪木は日本プロレス時代、あれができなかったのです。要するにお客さんを見ていなかったんですね。馬場に、「猪木は生真面目なところがまだまだだ」みたいなことを言われていましたが、猪木は「そんなおふざけできるか」と思ったんでしょうかね。
約6分の試合で、大半はチョップ、キック、パンチで、サバ折りぐらいしかやっていないのに試合は面白いですね。試合運びが巧いのと体が大きいからでしょうね。馬場がサバ折りで苦しがると、こりゃ厳しい攻めなんだなと説得力もありますしね。
これは、馬場とモンスーンに信頼関係があることも大きいですね。デストロイヤーとの試合もこんな感じです。信頼関係がない不穏さも面白みとしてあるかもしれませんが、馬場の場合は、信用できる人とお互いの良さを披露し合うような試合が合っていそうですね。

>【国際プロレス伝】右足を切断されながら、相手に殴りかかっていった男

浜口は唯一、大剛を肯定的に振り返る人ですね。大剛鉄之助、大磯武、グレート草津というのは、国際プロレスの嫌われ者三人衆だったようです。
大剛の場合は、後輩イジメがひどい、先輩いじめもひどい(ミスター珍を殴った)、非常識(大位山が引退してちゃんこ屋を開いたら土足で上がり込んだ等)といった理由です。
ただ、アニマル浜口にとってはいい先輩で、アメリカに遠征に行くときも見送りに来てくれたり、背広を作ってくれたりしたそうです。
浜口が言うところの、プロレスラーに必要な「狂気」や、勝負師としてスキを見せない相手のスキを逃さないといった姿勢が大剛にあって、他の人にとってはそれが「嫌な奴」でも、浜口にとっては肯定的に捉えられたのでしょう。
で、大剛も「自分をわかってくれる奴」ということで、浜口を可愛がったのかもしれません。
国際プロレスが潰れて、吉原功社長がUWFのブッカーになりそうになったので、慌てて新日本が顧問で入社させた時に、吉原顧問が大剛をブッカーとして推薦したので、それまでカルガリー担当だったミスター・ヒトがへそを曲げて、キッドとスミスを馬場に送り込んだんでしたね。

余談ですが、ヒトは馬場夫妻の悪口が生き甲斐だったくせに、レスラーとしては猪木は馬場を超えられなかったというようなことを言っていました。まさか80年代の馬場を見ていないはずはないと思いますが、小鹿にしろ高千穂にしろ戸口にしろヒトにしろ、「馬場が一番」という人たちは、日本プロレスの若手時代に見た馬場が、よほど強烈だったんでしょうね。

大磯武は、やはり東京プロレスから国際プロレスに行ったレスラーで、豊登が、フィリピンの沈没船をサルベージして金塊を何億円いただこうという、業界では有名な与太話にのっかってフィリピンに行き、そのままフィリピンに住み着いてしまった人ですね(笑)

草津は付き人のくせに、飲み屋から馬場に電話して飲み代をもってこさせる、練習嫌い、先輩を子供扱いなどなど日本一のトンパチレスラーで、日本プロレス時代の若手のバトルロイヤルでは、いつも杉山と2人が、ヤマハや高千穂に集中的に痛めつけられていたそうです。国際時代は売れそうなレスラーが出てくると、すぐ前座に下げる嫉妬のマッチメークが不興を買っていたようですね。

>どうやらわたしの家では上手にそのようなものを子どもの目から隠していたようです。

私はずっとテレビばかり見ていたことから、そういうシーンだけを止めると不自然なので、両親も仕方なくそのままにしていたのかもしれません。
ただ小4~6は、お受験させられて、テレビを十分に見ることができなかったので、今になってCSで初めて見るものもあり、「ああ、これはその当時に見たかったなあ」と思うこともあります。でもひし美ゆり子はリアルタイムで見ましたけど(笑)片山由美子とか毎回シャワーシーンで大変だったですね。
by いっぷく (2018-02-03 02:08) 

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