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●柳澤健氏が「2000年の桜庭和志」スタート?『THE RISING SUN 陽が昇る場所へ』(中邑真輔)にあった対談、桜庭和志と鈴木みのるのプロレス成功度はなぜ大きな差がついた? [「言葉」による革命]

●柳澤健氏が「2000年の桜庭和志」スタート?『THE RISING SUN 陽が昇る場所へ』(中邑真輔)にあった対談、桜庭和志と鈴木みのるのプロレス成功度はなぜ大きな差がついた?

末尾ルコ「プロレスと格闘技の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

WWEの中邑真輔が6月25日に会場付近にいた警察犬に突然、足をかみつかれ、US王者戦を欠場したという報道があった。
という話題は昨晩したが、中邑真輔がらみで言えば、双葉社から出版されている『THE RISING SUN 陽が昇る場所へ』(中邑真輔)という本を読んだのである。
双葉社のサイトに掲載されている同書の説明は次の通りだ。
・・・
日本のエースから、世界のスーパースターへ! 世界最大のプロレス団体WWEで活躍するプロレスラー、中邑真輔。新日本プロレスからWWE移籍までのおよそ5年間の”心の軌跡”がすべて記されたインタビュー集。人生は楽しむためにあるんだぜ……YeaOh! ※本書は月刊誌『KAMINOGE』に掲載されたインタビューに加筆・再構成したものです
・・・

『KAMINOGE』に掲載されたインタビューが素材になっているわけだから、その内容は中邑真輔にとって聞かれて嬉しい質問が中心のノリノリムードで、読み物としてはいかにも内容が薄い。
そんな中でいくらか興味を持って読めたのが、中邑真輔と桜庭和志の対談。
当時新日本プロレスへ参戦していた桜庭だが、それに対して中村は、「やりたいことが見えない」的な発言をする。
それは決して批判としての発言ではなく、何度となくリアル格闘技のリングに上がっている中邑は全盛期の総合格闘家としての桜庭の偉大さを理解しているから、あくまで「プロレスラー」としてのアドバイスという形なのだけれど、わたしも新日リングの桜庭和志の試合ぶりを観ているので納得できる部分が多かった。
例えば現在も、鈴木みのるがいまだに「スターレスラー」の一人としてプロレスのリングへ上がり続けている。
鈴木みのるも「リアル格闘技出身」と言えるのだけれど、総合格闘家としての実績は桜庭よりも遥かに劣る。
ところが二人が「リアル格闘技後」(桜庭はまだリアルは「引退状態」ではないようだが)に上がったプロレスのリングでは鈴木が遥かに上位のポジションを獲得し、桜庭は早くも「引退」状態である。
では、プロレスにおける桜庭と鈴木の違いはどこにあるのか?
いくつかポイントはあると思うが、「最重要なポイント」は、

「臭い演技ができるか否か」だ。

もちろん「臭い演技ができる」は鈴木で、「できない」が桜庭である。
なにせ鈴木みのるはパンクラス時代から、試合前後になかなかの「臭い演技」を披露していたのだから、現在のプロレスのリングでは今や「臭い演技のみ」でスターの位置をキープしているとも言える。
対して桜庭、この人の場合、リアルファイトの中にエンターテインメントな要素を意識的に盛り込めることで大スターになったのだが、逆にプロレスのリングでは「臭い演技」ができないばかりに、「黙々と試合をこなしている」ようにしか見えなかった。

この件はかなり重要な問題なので今後も掘り下げていくつもりだが、それにしても、『Number』953号から、柳澤健氏の「2000年の桜庭和志」が始まっているというのだけれど、一部プロレス界からの非難ごうごうも何のその、どんどん続けてるのね、この人。

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いっぷく

アントニオ猪木時代に山本小鉄の指導下で入門している鈴木みのると、UWFインターナショナルからスタートした桜庭和志では、プロレスラーとしての基礎が全く違うこともあるのではとおもいます。
桜庭和志は、巡業に帯同して蓄膿症になりながらエプロンにかじりついて自分以外の様々なタイプのレスラーの試合を見たとか、1シリーズ20~30戦を戦いぬく経験したことがあるのでしょうか。これは高山にもいえることだったんですね。ただ高山は、四天王時代の全日本プロレスに入団して、数年は団体の一員としての生活をしていますから同じではありませんが。

>一部プロレス界からの非難ごうごうも何のその、どんどん続けてるのね、この人。

UWFは三沢の四天王時代のように信者がいるので容認出来ないのでしょう。ただまあ私はUWFをよく知らないこともありますが、大筋で両立できない間違いがあったとは思えなかったのですが。たとえば、前田が神社長と揉めて出場停止になって、船木が前田をリングに呼んでみんなでバンザイしたときに藤原は「俺は納得してねえよ」という態度をとっていましたが、柳澤本を読んで、何となく理由がわかりました。前田の方が間違っていると藤原はいいたかったのでしょうし、あのへんは、UWFが分裂する経緯として大変重要なところなのですが、Facebookのプロレスグループで、そのときの藤原の不機嫌の理由を尋ねても誰も答えられない。そのくせ、そこに解を提案する者には、それが受け入れたくないものだとバッシングする。それはまさに政治で言えば安倍信者と同じでもう宗教だとおもいます。
「1964年のジャイアント馬場」にしても、柳澤本はしょせん一面的な書き方なんですよ。日本プロレス時代の馬場は偉大だった、全日本プロレスになってからの馬場はレスラーとしてもプロモーターとしてもどうしようもなかった。ただしターザン山本の意見を受け入れた柔軟さはすばらしい。だから以後の全日本プロレスは繁盛したという書き方ですが、まあステレオタイプですよね。
馬場は外部の人間をブッカーにするほどプロレスを開放しているわけではなく、山田洋次とキムタクの関係ではないですが、ニコニコしながらも言いなりにはなっていなくて、その時のブッカーは渕正信だったことは川田利明らが証言しています。渕自身も四天王プロレス時代は、500万のボーナスを年に3回もらったと言ってますが、役員でもなかった一介の中堅レスラーにそんなにボーナスを出すわけがなく、それはブッカーとしての成果を馬場が認めたからです。
でもまあ、他のレスラーやライターも、その当時のことは書いており、柳沢本はひとつの見方というだけで、それが全てでないことぐらいわかります。じゃあ渕正信が前田のように反論本を書くかと言ったらそれはないとおもいます。
それに、実は力道山はロスでしか通用しなかった田舎レスラーである、ということを明らかサマに書いたのは柳澤本が初めてではないかとおもいますが、力道山によって歪められてきたプロレス史を、60年越しに力道山自身のレスラーとしてのポジションを暴いて正した功績もありますから、私はそれほどの悪印象はありません。
by いっぷく (2018-07-07 04:16) 

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