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●社会派ケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』の「おもしろさ」とは?~『釣りバカ日誌 スペシャル』、西田敏行はタイガー・ジェット・シンか? [「言葉」による革命]

●社会派ケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』の「おもしろさ」とは?~『釣りバカ日誌 スペシャル』、西田敏行はタイガー・ジェット・シンか?

末尾ルコ「映画の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

ケン・ローチ監督の、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作『わたしは、ダニエル・ブレイク』を観て、(映画のおもしろさとは何だろう)とあらためて考えてしまった。
ケン・ローチが現代の世界映画界で、「最重要監督」であることは言うまでもないが、その制作原則として、「社会問題を正面から扱う」「スター俳優を使わない」の2点があり、前者は問題ないのだけれど、後者、わたしの映画を観る大きな愉しみの一つが、「スター俳優の鑑賞」だから、ケン・ローチ作品鑑賞にはやや積極的でない傾向があった。
もちろん、「観さえすれば、素晴らしい」ことは、今までに結局ほとんどのケン・ローチ作品を鑑賞して知っているのだが、点かれている時とか、なかなか(観るぞ!)という気にはならないのです、まあ、そんなメンタルではいけないという反省はありますが。

ところが『わたしは、ダニエル・ブレイク』、観始めると、まず、「おもしろい」のです。

ストーリーは、59歳の大工ダニエル・ブレイクが心臓病で仕事ができなくなる。
国の援助を求めるため福祉事務所を訪れるけれど、その手続きがあまりに煩雑で、しかも大工一筋で誇りをもって生きてきたダニエルにパソコンの作業を一から始めることさえ要求する。
しかも、「医師のストップ」で仕事ができなくなるのに、「就労不可の認定」が下りない。

英国の労働事情には明るくないわたしだけれど、いろいろと調べたくなる理不尽さである。

しかしこうした極めてリアルでシビアなストーリーなのに、非常に「おもしろく」、100分程度の時間、1秒たりと飽きることがなく、そして大きく心を動かされるシーンがいくつもある。

「映画のおもしろさ」を、もっと深く考えねばならない。

もちろん、『わたしは、ダニエル・ブレイク』とは異なる意味で、『釣りバカ日誌 スペシャル』も実に素晴らしかった。

『釣りバカ日誌 スペシャル』は、谷啓の娘に扮した富田靖子に加勢大周が心を寄せる・・・という展開が用意されているが、この顛末や正直、ややカッタるい。
ところが、事情あって、スーさん(三國連太郎)が浜ちゃん宅にみち子さん(浜ちゃん妻=いしだえり)だけしかいない時間に泊まってしまう。
妻の不倫を疑った浜ちゃんは顔が傾き、スーツ(=背広)を振り乱して半狂乱!
その暴れっぷりたるや、全盛期のタイガー・ジェット・シンである。
家具はぶち壊す、ガラスは突き破る、数人が身体を押さえて止めようが、引き摺って暴れ続ける・・・新日本プロレスが内容的に最もおもしろかった時期の充実ぶりを思い出させてくれるではないか!
そして『釣りバカ』の、西田敏行の素晴らしさは、それらシーンが、アクションが、見事なスラップスティックギャグとして持続していくところだ。

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いっぷく

ちょっと前でしたが、予告編の動画をFacebookで投稿していた人がいたので、それを見たことがあります。もし日本で作ったら、安倍総理はまた無視でしょうね。
日本ですとやっぱり、可能な人は是枝裕和監督ぐらいでしょうか。過去には山本薩夫監督のように真正面から斬りつけるのもあれば、岡本喜八監督のように反戦という大きなテーマが作品を通して感じられる人もいたし、山田洋次監督や坪島孝監督のように、決して政治的な切り方でなく、喜劇を通して社会の矛盾を気づかせる作品もありました。今はどういう監督にどんな主張があるのか、正直私はわからないのですが、ネットの「議論」を見ると、社会の仕組みを知らないで完結していることが多いので、社会問題を具体的に扱う作品を期待したいですね。

>『釣りバカ日誌 スペシャル』

私はそれは、山田洋次という人が喜劇の中にさりげなく仕込む、いつもの「毒」だとおもいました。
社長シリーズは、成功はしませんが森繁社長が浮気を計画するパターンでしたが、山田洋次監督は、男はヒロインに対してひとすじで、一方の女には自己中心的なキャラクターでもう1人の男がいる(←必ずしも肉体関係があるとは限りませんが)という設定が得意なんです。よほど若いときに女性で傷ついたのかもしれません。
ハナ肇のバカシリーズにおける岩下志麻がそうですし、「男はつらいよ」でも、マドンナの多くは最終的に結ばれる相手がいながら、寅さんを「雨宿り」的に利用しています。松坂慶子の時などは、わざわざその気になっている寅次郎に、自分が別の男と結婚することを報告にくる残酷なシーンを作っています。
「幸福の黄色いハンカチ」は二股とは違いますが、倍賞千恵子は出産歴があり、かつそれを高倉健には黙っていたという設定でしたね。それが伏線になって高倉健は人に手をかけてしまう。それだけショックが大きかったわけです。もちろんその事情は劇中には一切出てきませんが、やっぱり一般的には黙ってるのはどうなの。結婚の既成事実作ってからなし崩しにいうってずるくない?その子が名乗りを上げて出てきたらどうなるんだろ、なんて心配してしまいます。
「釣りバカ日誌」でも、ハマちゃんにも打ち明けない本音をスーさんには打ち明けている「特別な関係」になっているし。第3話でも、鯉太郎が生まれるときにスーさんが立ちあって、鯉太郎が産道から出てくるところをスーさんだけが見ちゃってるんですね。それで毎回、ハマちゃんが帰ってくる前から、スーさんはハマちゃんの家で着替えてくつろいでいる。そりゃ、やりすぎだろう、非常識だとおもいますが、その流れの中でスペシャルの展開があるわけです。
まあ「釣りバカ日誌」の場合には、毒というよりも、そういう微妙な関係で見る人を多少なりともハラハラさせたいのかもしれませんが、その関係には、浅田美代子のときには感じない生々しさがあります。
みち子さんとスーさんの2人きりのときは、みち子さんがなぜハマちゃんと結婚生活を続けているのか、ということを明かす大切なシーンもありますが、あまりその生々しさが前面に出てしまうと、ちょっと作品としての趣旨が変わってしまう感じがしますので、そのへんは非常に微妙なギリギリのところで作られているなという気がしました。
石田えりが第7作で降板したのも、そのへんで「ギリギリ」を演じることに疲れたのかもしれません。
by いっぷく (2018-09-10 02:31) 

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