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●「剛力彩芽インスタ削除」の件についてのヤフコメ欄における、「女優」と「アイドル」に対する意識~『クローズアップ現代+』の「“つながり孤独” 若者の心を探って…」は皮相的な解決法はない。 [「言葉」による革命]

●「剛力彩芽インスタ削除」の件についてのヤフコメ欄における、「女優」と「アイドル」に対する意識~『クローズアップ現代+』の「“つながり孤独” 若者の心を探って…」は皮相的な解決法はない。

末尾ルコ「社会観察の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

昨夜書いた「剛力彩芽インスタ削除」に関連した話題だが、(この件について、ネット民はどんなことを書き込んでいるんだ)と観察がてらヤフコメ欄をチェックしてみた。
「こんなことをした剛力なんて、炎上して当然だ」的な書き込みはもちろん多かったが、「なぜこんなに叩かれているのか分からない」という書き込みもかなりあった。
それと同時に興味深かったのは、

「(剛力彩芽は)アイドルじゃなくて、女優なのだから、誰とつき合っても別にいいんじゃないか」

という意見が少なからず見られたこと。

なぜ興味深かったかというと、

ヤフコメ民の中のもまだかなりの割合で、

〈「女優」と「アイドル」を明確に区分け〉している人たちが存在するという点である。

さらに言えば、彼らの中でいまだ、

「女優>アイドル」

という図式が成立していることである。

これまた、なぜこの図式の成立が興味深いかというと、もうずっと以前から日本の芸能界はあらゆる段階においての「なし崩し」がどんどん進んでおり、特に「アイドルグループ」が大きな市場を生むようになってからは、「アイドル」が歌手をやるのはもちろん、「俳優」もやる、「お笑い」もやる、「司会」もやる、「ニュースキャスター」もやる・・・など、あたかも「アイドルは何でもできる人」という雰囲気に業界はなっている。
そうした雰囲気を助長しているのが多くのメディアであって、いまや批判的な意見は滅多に目にすることはなく、オリコンなどの、主に「売れているものに関するなんちゃって分析」しかできないメディアは、最近「テレビショッピング出演に俳優が出演することも、このところ都落ち感が薄らいだ」なんていう記事を書いていたくらいだ。
もちろん俳優や歌手というジャンルはある程度ボーダーが曖昧な方が活性化の可能性も高くなるし、よりクリエイティブな作品が生まれる場合もある。
しかしどう考えても日本は、「なし崩し」が酷過ぎで、どんな分野でも「何でもあり」状態に近くなっており、「熟練」や「専門性」を軽視する社会になっており、そんな社会は早晩沈没してしまうに決まっているのである。

しかし今でも少なからぬ人たちの中で、「女優」と「アイドル」の区分けが存在するのはちょっとした驚きであり、もちろん「女優」>「アイドル」という図式が常に成立するとも思ってはいないけれど、非常に興味ある観察だった。

話は変わるけれど、25日のNHK『クローズアップ現代+』の特集が、

「“つながり孤独” 若者の心を探って…」。

「つながり孤独」という言葉を流行らそうという気がよく伝わってくるが(笑)、番組サイトの説明は次のようなものだ。

・・・・・・

ツイッターやFacebookなどのSNSが急速に普及するなか、“多くの人とでつながっているのに孤独”という、“つながり孤独”を感じる若者が増えている。「SNSで友だちの暮らしを見て劣等感を抱く」「SNSでのつながりの薄さに孤独を感じる」。

・・・・・・

こういうのは皮相的な解決法を提示するのではなく、「人間の根本を見つめ直す」作業が必要なのですけれど。

この点についてもまた、お話していきましょう。



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いっぷく

アイドルと女優は何が違うといえば、本来アイドルは処女性が求められ、女優はむしろ多くの経験が感じられる人であるべき点が180度違ってましたね。
でも、指原だの、峯岸みなみだの、「そういうこと」が明らかになってしまったにもかかわらず平気でテレビに出続けるこんにちでは、たしかにアイドルと女優の違いなんてなくなりましたね。
劇団若草の3人娘(二木てるみ、松岡きっこ、葉山葉子)のうちのひとりの葉山葉子は、一時期昼メロの女王といわれていましたが、実は恋愛経験がないとされ、それが本人をして自分の役に感情移入できなくて壁にぶち当たったことがあるらしいですが、名前は失念しましたがどこかの俳優と同棲だか不倫だかが週刊誌で公然となり、以来葉山も「おかげさまで人並みに恋愛をして自分の役の意味がわかるようになった」と開き直り演技開眼したという話があります。同じ頃、篠ひろ子が男問題で自殺未遂したのですが、復帰作が昼メロでしたね。話題性もあったでしょうが、演技に反映することを期待したのでしょうか。
ド近眼で有名な女優ISも、通り過ぎた男が250人、中絶ン回、夫の映画監督公認という話もありますね。
でもそのヤフーのコメントの「女優>アイドル」は、そういう視点は関係ないのかな。

>「SNSで友だちの暮らしを見て劣等感を抱く」

「リア充」にジェラシーやコンプレックスを抱くということでしょうか。「華やか」なところを見せている人たちはたいてい商売がらみでやっているか、人にいいところを見せたい、自分を大きく見せたいという自己顕示欲でやっているんですけどね。わざわざ弱いところ、汚いところは見せないし。
たとえばブログでも、ラーメン食べるところを、記事にするから天丼食べるとか、So-netブログでもみんな大なり小なりやってるんじゃないでしょうか。どこへ行ったとか、何を食べたかということ自体に重きを置くと、その「華やか」さをエスカレートせざるをせず、続かなくて結局ブログ自体挫折するんですよね。
そうですね、これはプロレスにも通じるかもしれませんね。技のエスカレートはレスラーを苦しめているけれど、見栄えの良い技を出せばいいのではなく、そのプロセスや背景次第でボディスラムひとつで痛みを感じさせる試合はできると……

>「SNSでのつながりの薄さに孤独を感じる」

私はむしろ、ネットに真の「つながり」を求めることが不思議でなりません。面識もない。マシンの向こう側で、どんな意図や価値観で書き込んでいるかもわからないのに、うわべの言葉を2~3交わして「仲良くなった」と思えるのがちょっとイタイ。
オフ会やったって、むしろそれによって、お互いますます気を使って、是々非々のきちんとしたコメントも書けなくなっているじゃないですか。
ただ逆はありますけどね。私が不寛容な人間だからか、「こいつとはわかりあえない」とか「かかわると嫌な思いをさせられそうだ」と、会うまでもなく判断できちゃう場合はあります。So-netブログで言えば、コメントの内容とか、巡回の仕方とかで悪いところは見えてしまいます。それは逆の立場でも言えるので私も気をつけようとはおもいますが、まあわかりあえない者同士なら、どう気をつけてもだめでしょうけどね。

by いっぷく (2018-07-26 04:58) 

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