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●W君、君は明らかに進むべきではない方向に人生が進んでいるよ。その2。~「気学」で「人生相談」?? [「言葉」による革命]

●W君、君は明らかに進むべきではない方向に人生が進んでいるよ。その2。~「気学」で「人生相談」??

末尾ルコ「人間観察で、知性と感性を鍛えるレッスン」

「photographer」と名乗る名刺を持ち、わたしの見ている範囲でも幾人かの人にそれをわたしていたW君。
他にも「知人に勧められた」として、化粧品のセールス的なことを始めると言い、カフェのテーブルでお肌についての勉強をしている姿を何度となく見かけた。
しかしW君は到底セールスに向いているとは思えなかった。
彼の話はおもしろくないのである。
口も達者ではない。
もちろん人間、口が達者だからいいというわけではなく、やたらと口が達者で、人に必要ないものまで購入させようとする、人間性を喪失したセールスパーソンも多く見かけてきた。
そしてもちろんそんなセールスだけでなく、相手の立場もわきまえた販売ができる人もいる事実も知ってはいるが、どちらにしてもセールスとして成功するためには、「聴かせる話」ができねばならないのが原則だろう。
W君の場合、できるのはあくまで「いかにも普通の話」だけ。
男性にとっても女性にとっても、彼の力で「聴かせられる話」というのは耳にしたことがない。
話題も狭く、会話を展開させられず、すべてにおいて硬い・・・厳しい方をすれば、W君の会話レベルは高1相手でも乏しさを感じさせるだろう。
そして会話レベルの乏しさは、人間性の深さ・浅さ、広さ・狭さと直結している。

その後しばらくして、W君は「photographer」や化粧品販売の話はしなくなった。
その代わりか何か知らないが、「知人にある芸術家のパーティー(的なもの)へ連れて行ってもらった」という話をし、その芸術家に、「2年後に来なさい」と言われたと嬉しそうに語っていた。
要するに彼は、「2年後」にまたその芸術家のもとへ行けば、一緒に仕事させてもらえると思い込んでいるのだ。
しかし彼の芸術に関する知識や見識はわたしの見たところ、「ほぼゼロ」である。
その芸術家からはいきなり15万円程度の絵を買って(買わされて?)いるのだが。

その後さらにしばらくして、「肉の串焼きや雑貨の店を共同でやる」とかいう、よく分からない話を聞かされたが、そしてこの度である。
「そう言えば、お店をやるとかいう話は?」と尋ねると、
「それは人に任せて、ぼくは人生相談をやることにしました」
(ええ??)の世界である。
悪いけれど、W君は人生相談をしてもらわねばならない方ではないのか?
「人生相談って、いろいろ経験とかが必要だし、年上の人とかの相談とか難しいんじゃないの」と、わたしがやんわり言うと、
「そうですね。相手の魂と対話して、悩みとかの根元を、過去の魂の状態から見つけ出して・・・」とか言い出したものだから、
「え?魂と話すって、君、そんなことできるの?」と問うと、
「はい。魂が見えるんですよ」

と、話がここに至って、W君の精神が非常に危険な水域に達している現実を、わたしは理解したのである。
そう言えば彼は1~2年前からカフェのテーブルでも本を広げて小さな振り子のようなものを振ったりしていて、「何してるの?」と尋ねたら、「〈気学〉をやってるんです。これで人間が生まれた意味とか、いろいろ分かるんですよ」などと言っていた。
わたしは10代から世界の宗教や神秘思想について(いろいろな意味で)興味を持ち続けていているが、それだけに「魂が見える」なんて軽々にのたまう人間は有名無名を問わず、普通は「インチキ」か「妄想」であると理解している。
しかもW君は、気学とやらを知ってからほんの1~2年のはずである。
それで、「魂が見える」、それに基づいて「人生相談をする」などと言い出すとは、ここまでものを知らない、ものを理解できない人間であるとは、かなり驚いた。
一つ言えるのは、間違いなく彼の周囲にはロクな人間がいない。
W君が「photographer」や化粧品販売のように、半年くらいでこの件を放棄することがあればいいのだが、下手をすれば「社会の迷惑」となってしまう可能性も十分ある。

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いっぷく

要するに自分探しですね。これは非常にデリケートな問題ですね。たしかに疑似科学やカルト教団など非合理の世界に転落するのは本人のためにも社会のためもまずいことですが、迷走するならするでとことんするところに意義があるので、途中で誰かに止められたり、もしくは自粛したりしたら、それは何もならないのですね。
私が少年から青年になる頃、趣味をもとうとすると、母親に馬鹿にされて止められたのです。「どうせ長続きしやしないから」と。実際、楽器も、ボクシングも、合気道も、途中で挫折しました。それで母親は、「それみたことか」というわけです。そうすると、私は自信を失い、また言われることが嫌になり、何もしなくなってしまうのです。何もしなければ何も身につきません。それで私は、何もできないまま馬齢を重ねて今日に至ってしまったのです。
私の子供は障碍者になってしまいましたが、そうでなかったら、三日坊主だろうがノウハウコレクターだろうが、好きにさせていたでしょうね。気の済むまでやらないと、自分の道は見えてこないのです。子供の頃からなにか一筋なんて、おかしいですよ。そんなに一発必中で、自分に最適の道が見つかる訳ありませんから。
卓球の福原愛とか、一応実績も残したので、卓球人生について後悔はないとは思いますが、ほかのことはしたくなかったのだろうか、なんておもいます。
それはそれとして、たぶんその人は、下積みの苦労をすることなく成功したいんでしょうね。だからずっとがんばれないのと、そういう人は最終的に非合理にいきがちですね。さんざん転職して、行き場がなくなった人は最後に出家しますよね。世間様に迷惑をかけないといいですね。

>どこかに「死」を感じさせてくれない作品は物足りないものが多いということです。

これは深いですね。ぜひ詳しくお伺いしたいことです。
by いっぷく (2018-11-09 05:36) 

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