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●中止?フロイド・メイウェザーVS那須川天心・・・そもそも「モハメッド・アリとメイウェザーではまったく比較にならない」という新間寿はまったく正しい。 [「言葉」による革命]

●中止?フロイド・メイウェザーVS那須川天心・・・そもそも「モハメッド・アリとメイウェザーではまったく比較にならない」という新間寿はまったく正しい。

末尾ルコ「格闘技の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

RIZINにおける、フロイド・メイウェザーVS那須川天心の「発表」→「中止」の経緯に対する憤りがなかなか収まらない昨今だけれど、

10日午後の段階では、次のような報道がなされた。

RIZINがメイウェザーとの契約騒動で謝罪文を発表 合意への望み捨てず、来週にも公表へ(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181110-00000156-sph-fight

それはさておき、次の記事一部は、「我が意を得たり」だった。

猪木対アリ戦を仕掛けた新間寿氏、メイウェザーと那須川戦を「エキジビションならやる意味がない」https://www.hochi.co.jp/fight/20181109-OHT1T50057.html

大言壮語が基調の新間寿の談話だからすべてを信じるとはいかないが、何と言っても、「モハメッド・アリとフロイド・メイウェザーでは比較にならない」という意見は真実である。
わたしがメイウェザーについて否定的なのは、このボクサーが比較的若い頃の試合を観ていたが、その当時は他にもボクシング界には何人かのスター選手がいて、その中でメイウェザーは比較的地味な方の印象だった。
確かにその後メイウェザーは、ザブ・ジュダーやオスカー・デラホーヤらに勝ちはするのだが、「スターぶり」という点ではデラホーヤが遥かに上だった。
そして単純に言えば、マイク・タイソンの後はボクシング界に本物のスーパースターは生まれていない。
メイウェザーの莫大なギャラは、マイク・タイソンらの時代から後に確立されたPPV(ペーパーヴュー)システムなどの恩恵を受けたバブルに過ぎない。
まあボクシング史の中のあだ花のようなものですな。
現に日本でフロイド・メイウェザーの名前など、今回に一件が起こるまではボクシングファンくらいしか知らなかったのではないか。
それだけメイウェザーの知名度が日本で低かった理由の一つはもちろん日本のガラパゴス化(この場合は、外国のことに興味がない人の圧倒的増加)にあるのだが、ボクシング界自体にジャンルを超えるスーパースターが出てこなかったことも大きい。
いかにガラパゴス日本でも、テニス界のスーパースター、ロジャー・フェデラーやラファエル・ナダル、マリア・シャラポワ、サッカー界のリオネル・メッシ、クリスチアーノ・ロナウドらは多くの人に知られているでしょう。
そしてマイク・タイソンも日本人のほとんどが知っていた。
スポーツに限らず、外国人スターでどのような人が日本でより知られるかについてはまた機会を改めてお話したいが、モハメッド・アリとなるともう、まったくレベルが違ったのである。
猪木との試合をやった頃は既に、「歴史上の偉人」といった存在であり、はっきり言って比較できる対象は、ケネディ大統領とかマリリン・モンローとか、そのクラスである。
もちろんアリも亡くなった現在では過去の話ではあるが、もし不特定多数に対して格闘技を語ろうというのであれば、「現在」だけでなく、「歴史」を俯瞰する視点も必要だ。
それはどんなジャンルにも言えることだが。
なにせ、「メイウェザーVS天心が実現すれば、日本のプロスポーツ史上最高の出来事」とか書いてるライターがいたもので。

それとまあ、アントニオ猪木と那須川天心もぜんぜん違いますよ。
ここで、「プロレスラー=インチキ、キックボクサー=リアル」という単純化は適用すべきではないですね。

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いっぷく

>>当時、いつも猪木さんの上にはジャイアント馬場さんという人がいたんです。超えるに超えられないものは猪木さんにとって馬場さんであり力道山先生だった。その人の向こうを張るには馬場もできない、力道山もできなかったことをやるしかない、と。

猪木対アリは1976年ですから、少なくともそれまで馬場は「超えるに超えられないもの」だったんですね。一説には、オープン選手権を断ったのは、小林、大木と戦っても馬場は挑戦を受けないから、猪木は馬場に飽きたと、日本プロレス事件史の流智美氏の記事で読みましたが、それは的外れということになりますね。
それにしても、猪木にそこまでさせる馬場というのは凄いというべきか。猪木の嫉妬をバネにする行動原理はとてもスケールが違いすぎてマネできません。
やはり流智美氏の記事で、1963年に馬場が帰国したときの華やかな記者会見を猪木が羨ましくて仕方なかったとも書いていますが、当時の新聞記事とか世相を改めて調べてみたくなりました。

東映の実録路線のすべてを見ているわけではありませんが、『仁義なき戦い』の五作以降は、それを超えるものは結局なかったと個人的には思います。実録は実際にあったから成立するので、実録の体裁で実は創作というのはちょっと興ざめでした。『仁義なき戦い』にしても、普段知られることのない裏社会への関心があったのだと思います。とくに広島極道というのは、他所の地域の大組織と系列化されていない独自の世界であるのにくわえて、親分が独特な人だったので、ヒューマンインタレストとしての面白さはありました。金子信雄がどうしても演じたい役だと頑張った気持ちもわかります。ただ、イメージ的にはもう少しモサッとした人のほうがあっているんですけどね。
そして組織の拡張に興行が使われていて、とくに力道山のプロレスが大きな役割を果たしていることもわかりました。世間が胡散臭がるのは、試合が結末を決めているのではないかということとともに、やはり怪しい人たちのシノギという認識もあったのかもしれません。
高倉健も、『君よ憤怒の河を渉れ』のときは、大丈夫かなと思いましたが、『八甲田山』や山田洋次監督との出会いで上昇気流に乗ったのではないかと思います。
by いっぷく (2018-11-11 05:14) 

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