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●ももクロとロバート・キャンベルの『Fの遺伝子』で、原節子や高峰秀子の発声の話題が素晴らしい~11月はじめからクリスマスソングがかかりまくることを「普通」と感じていていいのだろうか? [「言葉」による革命]

●ももクロとロバート・キャンベルの『Fの遺伝子』で、原節子や高峰秀子の発声の話題が素晴らしい~11月はじめからクリスマスソングがかかりまくることを「普通」と感じていていいのだろうか?

末尾ルコ「音楽と社会観察で、知性と感性を磨くレッスン」

ももいろクローバーZのメンバーが日本文学者のロバート・キャンベルとともに「フェティシズム」に関してトークを繰り広げる『Fの遺伝子』が実におもしろいのだけれど、次の回にロバート・キャンベルが日本映画黄金時代の女優の発声について語るところには思わず息を呑んだ。
10分強の動画だが、3分あたりにそのシーンは出てくる。

ももクロ×伝説の女優 夏菜子がミュージカル披露『Fの遺伝子』(https://www.youtube.com/watch?v=JLfGEcaq8Ro

この中でキャンベルは、第一次日本映画黄金期の女優たち、つまり原節子や高峰秀子らだが、彼女らの発声は、「音を止める」と言う。

ロバート・キャンベルの要約すると次のようになる。

「日本語の語尾はほとんど母音で終わり、だからソフトに聴こえるのだが、彼女たちはのどで止めてギュっと絞める。それによってあの時代の女性(女優)たちの覚悟や抑圧の中で自分らしさを表現するといった姿が見えてくる」

原節子や高峰秀子が全盛期、そしてその時代の他の女優たちも、現在の映画やドラマの中の女優とは発声がまったく異なる。
その理由や説明は今までも多く出ているが、今回のロバート・キャンベルの説もとてもおもしろい。
そう言えばエッセイストの中野翠は、小津安二郎作品の中の原節子の台詞に魅了されている旨書いていた。
しかし恐らく今の若い人たちがこうした発声を耳にしたら違和感をまず抱くだろうし、絶対いるのが、「原節子って、大根じゃん!」とか言い出す手合い。
今後いろんな意味で、「社会教育」は重要になってきますな。

ああそれにしても、このところの日本は夏休みシーズンが終わるとすぐにハロウィンキャンペーン、11月に入るとすぐにクリスマスソングが炸裂し始める。
特にショッピングモールなどではひっきりなしにクリスマスソングが流れ続けるわけですな、約2か月間。
これが「普通」と思っていていいのか、よくない。
多くのことが破壊されております、「儲からなきゃ、意味ないもん」という圧倒的多数の意識のために。
かつてイオン高知の英会話『NOVA』に勤めていた米国人のBが言っていた、「11月から毎日同じクリスマスソング聞いてると、気が狂いそうになる」と。
「気が狂いそうになる」と言うBこそ正常な感覚の持ち主ではないか。
12月1日の夜、地元のスーパー『サニーマート』薊野店へ行くと、駐車場の一角は小さなグラスなどに入れたキャンドルをクリスマス用のキャンドルがズラリ。
豆電球とかではなく、本当に火を点けている。
店員さんたちはご苦労様だが、まだ12月1日である。

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いっぷく

>原節子って、大根じゃん!

何をもって大根かということですね。私も子供の頃は、昔の役者の芝居は単調で、台詞を大げさに気持ちを込めて大きな声で言えばそれがいい芝居だと思ったのですが、それは小学校の学芸会で演者をつとめてしまったための勘違いでした。
小学校の学芸会なんて、声が出てない児童がほとんどなので、体育館いっぱいに聞こえる声を出せて、場面に応じてそこに感情をあらわす抑揚をつければ「あの子がんばってる」という評価をいただけたわけです。
怒鳴り声でなくても、ちょっとした仕草や表情で怒りの程を表現できるか、怒れば怒るほど声を大きくし大仰なゼスチャーをするか。
後者の芝居はわかりやすいです。見ている人が何も考えなくても、「ああ、怒ってるんだな」ということがわかるから。つまり、演技が「説明」になっているのです。
原節子など昔の芝居は前者なのですが、表現はしているけれど「説明」はしていないので、見る人が自覚的に真剣に見ないと、それは見落としてしまうかもしれない。
思うに、今のテレビは「ながら」とか、単純にその場で理解できるコンテンツを求めているので、おそらくは視聴者もそのような習慣になっているのではないかと思います。
「渡鬼」が説明口調の長台詞なのも、そういうニーズをわかっているからだと思います。
そういう文化で見てしまうと、昔の人はみんな「大根」になってしまうのだと思いますが、まあ気持ちのこもらない語尾のはっきりしない声の小さい「澪つくし」の沢口靖子では困るのですが。

>セクシー担当的役が多いのに、とても新鮮な驚き

これは当時、私も驚きました。『天下のおやじ』の前に『ありがとう』に出ていたのですが、子役の坂上忍の母親役だったのです。それが急に寺尾聰や水谷豊の母親ですから。草笛光子と寺尾聰は14歳差ですね。
進藤英太郎編でも、風見章子と長男役の園井啓介は11歳しか違わないので、今にして思うと若いお母さんでした。ちなみに進藤英太郎と風見章子は22歳差ですから、こっちが父親と娘でもよかったぐらいです。
昔は、実際の年齢とかけ離れた役を自然に演じましたね。
by いっぷく (2018-12-05 05:22) 

hana2018

中野翠の名前が出てきてはコメントしなくては。彼女のエッセイはどれも好き、ズバリ核心をついた発言の数々に、お着物、ファッションについての見方も、年齢が近いだけに共感するところが多くあります。
今のドラマ、映画とは違い…昭和2~30年代までの役者はゆっくり間を置いて話す。
大体が今は、登場人物たちの状況を台詞で説明してしまうなど、端折り過ぎてると感じる時が度々です。
フランス語の発音でも無音になるところはありますしね。それで美しく感じられるのでしょうか。
by hana2018 (2018-12-05 16:42) 

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