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●末尾ルコ昭和史~70年代、白人女性ソフトポルノの流行『エマニエル夫人』『O嬢の物語』『エーゲ海に捧ぐ』・・・。 [「言葉」による革命]

●末尾ルコ昭和史~70年代、白人女性ソフトポルノの流行『エマニエル夫人』『O嬢の物語』『エーゲ海に捧ぐ』・・・。

末尾ルコ「映画とエロティシズムの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『エマニエル夫人』は1974年の作品で、シルヴィア・クリステルはおそらくアラン・ドロン以降、日本で最も知られた分ランス人だったかもしれない、あの当時。
カトリーヌ・ドヌーヴも名前は知られていたが、彼女の作品を実際に鑑賞した人はそう多くはなかっただろう。
多くの日本人に愛され続けるカトリーヌ・ドヌーヴ主演の映画が『シェルブールの雨傘』だけれど、しかしそうそう多くの一般日本人が観ているとは思えない。
しかも『シェルブールの雨傘』はフランス人にとっても特殊な内容を持つ作品である。

「シルヴィア・クリステル」という名前も日本で売れたが、それより遥かに広範に、「エマニエル夫人」という「名」とその裸体が日本の津々浦々に浸透したという現象は、振り返ってみれば、他に例はないだろう。
あからさまな「エロ」が日本の津々浦々にまで広まるというのは、小川ローザの「Oh! モーレツ」や由美かおるの「アース渦巻」看板以来だったのかもしれない。
現在「エロ」はネット空間の個人的体験に局限されつつあるが、かつて昭和の時代、「エロ」は往々にして社会的共有物だった。
しかも『エマニエル夫人』はフランス映画であり、
しかしいかにもフランス風という風情のあるシルヴィア・クリステルはオランダ出身である。

実は70年代にはかなり大規模な配給スケールで、「外国ソフトポルノ」的な映画が日本公開されている。
先日わたしが古本屋で手に入れたーリーヌ・レアージュ作、澁澤龍彦訳『O嬢の物語』も映画化されており、1975年に公開されている。
『エマニエル夫人』と同様、当時子どもだったわたしは『O嬢の物語』を観ることはできなかったが、『ロードショー』や『スクリーン』など映画誌に掲載された写真と、「コリンヌ・クレリー」という主演女優の名前はしっかり記憶した。
1977年には写真家のデヴィッド・ハミルトンが監督した 『ビリティス』という作品が公開され、これは成人指定ではなかったのだろうか、わたしは映画館で観たが、単に若い白人女性の裸体をソフトフォーカスでだらだら見せ続ける退屈な映画だった。

1979年には『エーゲ海に捧ぐ』が公開されている。
監督・脚本・原作が池田満寿夫 で、音楽はエンニオ・モリコーネだった。
これは小説『エーゲ海に捧ぐ』で芥川賞を獲得した画家・版画家の池田満寿夫が自ら監督した作品のようだが、小説とはまったく異なる作品となっていた。
もちろん映画のトーンは、「白人女性の裸体」である。
池田満寿夫は、「映画が芸術なんて、認められない」と発言したこともあったが、当時のわたしは、(別に池田満寿夫に認められなくても・・・)と思ったものだった。

「白人女性のソフトポルノ映画」がこれほどまでに一般層まで膾炙していた事実も、いかにも70年代らしい。
「日本人女性のソフトポルノ」がこれだけメジャーに社会的に展開したことはなかっただろう。
そう、当時は「白人女性は別の世界の、遠い憧れの生き物」というイメージが、とりわけ日本人男性の中にあったからこその現象だったのである。

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いっぷく

そういえばありましたね、『エマニエル夫人』『O嬢の物語』『エーゲ海に捧ぐ』
年齢的にどれも見られなかったですが、映画館のポスターは見ていた記憶があります。「エッチな映画」というのは、たとえば中学や高校の頃は、日活の映画を、招待券使って数えられるぐらいの本数は見ていますが、外国のは見ていないのではないかと思います。100分の中に1つや2つのベッドシーンとかヌードシーンのある映画はありましたけど。
たとえば、ブルース・リーの映画で、タイトルは失念しましたが、ブルース・リーが寝ているところに、パンツ一丁で、胸は見えている女優がやってきて隣に寝るシーンは興奮しました。その程度でコーフンするぐらいでしたから、『祭りの準備』で竹下景子が、江藤潤に胸を吸われているシーンがアップになり、おまけにお尻まで見せているのは、やはり大変なショックでした。高校の映画研究部の指定鑑賞映画で、見に行くときはみんなでワイワイガヤガヤにぎやかだったのですが、見終わって帰るときは沈黙(笑)どこをどう歩いて駅までたどり着いたかもわからないほどでした。

卵かけご飯についていろいろ経験されているのですね。私はむしろ、卵かけご飯によくぞこれだけ工夫や論争があるなあという気がして記事を書いたのですが、でも卵とご飯というシンプルな素材だからこそいろいろな工夫をしたくなるということはあるのでしょうね。

>「柔よく剛を制す」幻想が強過ぎるのかもしれません。

これはありますね。ボクシングも階級の細分化で、ヘビー級で勝つのもそれ以外で勝つのも「勝つ」ということでは同じで、しかも軽量級のほうが俊敏に見えるのかもしれません。
もっとも、日本プロレスは、若手はガチンコでも、後ろの方の試合になると日本人同士でもやはり「プロレス」で、逆に馬場は芳の里に、引き分けがいくつかあるだけであとは負けなんですよね。1勝もしていないと思います。
力負けというのは不自然なので、スモールパッケージホールドとか(笑)馬場も技らしい技もない芳の里相手に下駄でなぐられた上に、いちいち丸まってあげて大変だっただろうなと思います。

by いっぷく (2019-01-04 06:03) 

hana2018

あけまして、おめでとうございます。
高校時代「キネマ旬報」もながら、「ロードショー」「スクリーン」は毎月欠かせない雑誌のひとつ、映画情報はそうしたところからしか得ることのできない時代でしたもの。
エマニエル夫人」「O嬢の物語」は勿論、どちらも未見なまま。
「エーゲ海に捧ぐ」の原作は読んでいたものの、あの頃から芥川賞受賞作への興味が薄れていった気がします。
最後の無頼派と言われた中上健司にしても、私には大して面白いとは思えませんでしたもの。
本年もよろしくお願い致します。


by hana2018 (2019-01-04 07:58) 

raomelon

新年おめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします<(_ _)>
by raomelon (2019-01-04 17:42) 

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