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●「教育」とは何か?「教育」自体の改変を志すわたしが「江戸川乱歩の教育効果」を語るぞなもし。 [「言葉」による革命]

●「教育」とは何か?「教育」自体の改変を志すわたしが「江戸川乱歩の教育効果」を語るぞなもし。

末尾ルコ「教育と文学の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

子どもの頃に江戸川乱歩を濫読していたことを思い出していて、もちろん乱歩作品はいわゆる教育的な内容ではなく、それどころか半教育的と言うか、まあいわゆるエロ黒ナンセンス連発の小説ばかりではありんす。
もちろん子供向けに書かれた作品には「エログロ」の要素は極めて希薄になってはいるけれど、「ナンセンス」は十二分に含まれている。
なにせ、「少年探偵団」ですから。
この馬鹿馬鹿しさが堪えられません。

わたしの場合は、乱歩の子供向きを読んでいたのは、そうですね、小学校低学年くらいまでで、その後は小学生のうちに即座に「大人向け乱歩」の読破に没頭したのですね。
そうなると内容はありとあらゆる変態的犯罪、異常性欲、異常者、さらに見た目が普通ではない人間とかのオンパレードなのですね。(今回は、「何が正常で何か異常か」という議論はしません)。

で、普通はこのような内容の小説は、「教育上」という観点からすれば、「褒められたものではない」となりますよね。
学校の教科書に江戸川乱歩『孤島の鬼』や『芋虫』は載りません。
「だからこそ、おもしろい!」と言えるのだけれど、では乱歩作品が教育的ではまったくないかと問われれば、わたしに関しては、

けっこう教育的

だったのですね。

もちろんここでお話する「教育」の概念は、従来の学校教育とは大きく異なるものです。
「教育」という言葉と概念をもう一度洗い直し、新たなものにしたいというのがわたしの野望なのですが、まあ例えば小学校時代に(大人向け)乱歩作品を読むことでわたしが得た「教育的効果」も大いにヒントになる、そんな気がします。

では、乱歩作品はどのように教育的だったか?

例えばですね、世の中で残虐な犯罪が起こるとしますね。
多くの人たちが、怖れ、驚愕するわけです。
「こんな事件が起こるなんて、信じられない!」
「こんな犯罪を起こす人間がいるなんて、理解できない!!」

といった声が、日本中に渦巻きますよね。

しかし、いい悪いではなくて、わたし自身はどのようなことが起こっても、滅多に驚きません。
もちろん起こった事件、起こした犯罪者に対する憤りなどはありますが、(何でこんな犯罪が起こるの?)といった、ある種精神的パニックなどは生じないですね。
なぜかと言えば、その答えは一つではなく、特に20代に過酷な精神状態を経験したことが一番大きいですが、「答え」の一つとして、子どもの頃の乱歩作品を濫読した経験も当然挙げられるのです。
なにせその中には、多種多様な異常犯罪、異常心理、異常犯罪者が蠢いているわけで、それらは必ずしもリアリティはないけれど、それでも十分な人間研究、犯罪研究にはなっているんです。
つまりわたしは人生の早い段階で、

「世の中、どんな異常犯罪が起こっても不思議でないし、どんな異常者がいても不思議でない」

という感覚を身につけていたと言えるのですね。
ま、もちろん乱歩作品を読んで、(自分もこんな犯罪をやってみたい)とか、そちらの方向へ行ってはいけないわけですが。

ま、いずれにしても、

「教育は学校に任せていてはならない」

という観点のお話、今後もしていきます。
学校の先生にとっても、とても有益だと自負しておりますよ。

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いっぷく

学校教育がなんのためにあるかというのは、東アジアのかの国が、もっとも義務教育が長いというところでなんとなく察しがつきます。それだけに、今の政府の、高校まで義務教育にしようとか、高等教育を無償化しようといった話は、何が目的なんだろうと疑いたくなりますね。
教育が必要な場合はありますけどね。
いつも書いている浅学な高校の同級生が、武田邦彦の話を鵜呑みにして、喫煙したらむしろ健康にいいという武田説について、それを否定したかったら反証しろと投稿してましたが、自然科学にしろ司法にしろ、挙証責任は主張した人自身がするのであって、要するに武田邦彦が確たる根拠を示さなければ、その説は妄想に過ぎないわけです。
きちんとした理科教育を受けていないと、そういう基本的なこともわかってない恥ずかしい投稿ができるんだなとおもいました。

>わたしがほぼ毎日飲んでいるのですが、それで腸の調子が整ったというのはまったくないです。

以前、私が交際していた女性の母親がヤクルトおばさんでしたが、賞味期限の過ぎたものを食べても、「大丈夫、ヤクルト飲んでいるから」と自信満々でした。ヤクルト飲んでいたら古いものを食べても大丈夫なんて聞いたことなかったので、ちょっと驚きましたが、まあ悪いものを食べてもはやく下せるかもしれませんね。
我が家はヤクルトと、ヤクルトが作っているヨーグルトをたくさんとっていましたが、ヨーグルトの原材料が、寒天からゼラチンにかわり、その直後にBSE騒動があったので、それを機に全部やめてしまいました。
母が健康食品でサメの軟骨を食べると言い、そのままでは生臭くてだめなので、ヨーグルトにまぜて食べることになり、ヨーグルトも1つでは足りなくて、どんどん増えていったのですが、そのうちサメの軟骨はやめてしまい、それでも私たちは「断れない、決められない」母子のため、ヨーグルトだけは大量にとっていたのです。

闘病記とともに、ワケありの親子の対面とか名乗りも、ドラマや映画にはよく使われますね。
私は毒親であったせいか、闘病記よりも、そちらの方がちょっと弱いです(笑)ただ感動の意味は人によっていろいろあるようで、たとえば「こういうことに感動できる私って素敵」という感動の場合もあるようなので、そういう自己満足の感動はいやだなとおもっています。
by いっぷく (2019-01-19 05:35) 

TBM

小学生のうちに「大人向け乱歩」とは!
私の場合、「大人向け乱歩」は高校生の頃でした。
by TBM (2019-01-19 22:01) 

hana2019

江戸川乱歩の「芋虫」は九編収録されたうちのひとつであったかと。
教育といったテーマからは外れてしまうものの、過去に書いていますので張っておきたいと思います。
https://hana2009-5.blog.so-net.ne.jp/2010-08-26
芋虫となった須永中尉の妻・時子の上品な言葉使いが原作では印象的でしたが、映画「キャタピラー」での寺島しのぶが演じた役柄からはそうした気配が感じられず、その辺りでも原作のもつ淫靡な世界観、夫婦の関係の変わり様が違っていました。
簡単すぎるコメントながら・・・学校教育で学ぶ事のない世界観は、自らが積極的に求めて選んだものたちから読み取る。同感です。
by hana2019 (2019-01-20 23:38) 

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