ネオアンガージュマン 「知事」に対するメール [ネオアンガージュマン]
「知事」(わたしの在住地はもちろん、他の都道府県の「知事」にも)に直接メールを出します。
一度や二度でなく、適宜出します。
「知事」には多くのメールが舞い込むでしょうが、内容や出すタイミングなどで「一般のメール」とはまったく違う印象を持っていただけるように気を配ります。
もちろん「礼を失さない」文面を心がけます。
で、どうなるか?
それは「知事」がどのような「心」を持っているかにもよりますね。
一度や二度でなく、適宜出します。
「知事」には多くのメールが舞い込むでしょうが、内容や出すタイミングなどで「一般のメール」とはまったく違う印象を持っていただけるように気を配ります。
もちろん「礼を失さない」文面を心がけます。
で、どうなるか?
それは「知事」がどのような「心」を持っているかにもよりますね。
ネオアンガージュマン 「勇気」の方法 判断力 [ネオアンガージュマン]
愛 勇気 行動
想像と創造 闘い
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」と言う人にはこう言いましょう。
「勇気を出す機会は毎日、身の周りにいくらでもある」。
「勇気は誰でも出せる。要は、出そうとするかしないかだ」。
あ、ここで一点書いとかなきゃならないことがある。
「勇気」と、「蛮勇」「無謀」は違うということ。
その判断ができるだけの力は身につけないと。
あ、また「つづく」ようですよ。(笑)
想像と創造 闘い
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」と言う人にはこう言いましょう。
「勇気を出す機会は毎日、身の周りにいくらでもある」。
「勇気は誰でも出せる。要は、出そうとするかしないかだ」。
あ、ここで一点書いとかなきゃならないことがある。
「勇気」と、「蛮勇」「無謀」は違うということ。
その判断ができるだけの力は身につけないと。
あ、また「つづく」ようですよ。(笑)
ネオアンガージュマン 「言葉」から社会改革! [ネオアンガージュマン]
日本人は「言葉」を失っている。
「言葉」を取り戻し、そして新たな「言葉」を獲得すれば、必ず日本社会はよき流れへと向かう。
(日本人は長い間「言葉」を軽視し続けてきました。本来はもっと「言葉」を大切にしてきた民族のはずだったんですが。)
例えば。
「一つの言葉」が一日を輝かせることもあれば、
「一つの言葉」が一日を腐れせることもある。
誰もが経験あるでしょう。
「言葉」を取り戻し、そして新たな「言葉」を獲得すれば、必ず日本社会はよき流れへと向かう。
(日本人は長い間「言葉」を軽視し続けてきました。本来はもっと「言葉」を大切にしてきた民族のはずだったんですが。)
例えば。
「一つの言葉」が一日を輝かせることもあれば、
「一つの言葉」が一日を腐れせることもある。
誰もが経験あるでしょう。
ネオアンガージュマン 東日本大震災後の日本社会 「二通りの説」 その2 [ネオアンガージュマン]
いずれも一流の論者によって成される、日本社会に関する「二通りの説」。
○日本社会は今後も変わらない。
(含、日本社会は今後も変える必要はない。日本社会は今後も変えることはできない。)
○日本社会はこれから変わる。
(含、日本社会はこらから変えねばならない。日本社会はこれから変えるべきである・変わるべきである。)
わたしがどちら側に立っているかと言えば、もちろん
「日本社会はこれから変わる(変えねばならい)」の方だ。
なぜか?という根拠は無数にあるが、非常に大きいのが「わたし自身の感覚」が現在のままの日本に「NO」と叫んでいる点だ。
「また主観的なことを・・」と眉をひそめる向きも多いだろうが、何らかのことで「動こう」という時に「個人の主観的感覚」というのは馬鹿にならないものだと思う。
「客観性」だけでは人間なかなか思い切った「動き」はできないものなのだ。
もちろんそうした「感覚」に至った個人史に信を置いているということもある。
歴史的には自分に「信を置くべきでない」人物が「信を置き過ぎて」失敗した例も数あることを知った上で書いているわけだけど。(笑)
○日本社会は今後も変わらない。
(含、日本社会は今後も変える必要はない。日本社会は今後も変えることはできない。)
○日本社会はこれから変わる。
(含、日本社会はこらから変えねばならない。日本社会はこれから変えるべきである・変わるべきである。)
わたしがどちら側に立っているかと言えば、もちろん
「日本社会はこれから変わる(変えねばならい)」の方だ。
なぜか?という根拠は無数にあるが、非常に大きいのが「わたし自身の感覚」が現在のままの日本に「NO」と叫んでいる点だ。
「また主観的なことを・・」と眉をひそめる向きも多いだろうが、何らかのことで「動こう」という時に「個人の主観的感覚」というのは馬鹿にならないものだと思う。
「客観性」だけでは人間なかなか思い切った「動き」はできないものなのだ。
もちろんそうした「感覚」に至った個人史に信を置いているということもある。
歴史的には自分に「信を置くべきでない」人物が「信を置き過ぎて」失敗した例も数あることを知った上で書いているわけだけど。(笑)
タグ:アート ネオアンガージュマン
ネオアンガージュマン 「勇気」の方法 [ネオアンガージュマン]
愛 勇気 行動
想像と創造 闘い
勇気。
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」「勇気なんて無駄だよ」
などと思う人も多いかもしれませんね、今日この頃。
「勇気なんて無駄だね」と考えている人にはこう言いましょう。
「死ぬまで死んだような精神で生きるのかい?」と。
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」と言う人にはこう言いましょう。
あ、ちょっと待ってくださいね。どうやら「つづく」のようです。
想像と創造 闘い
勇気。
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」「勇気なんて無駄だよ」
などと思う人も多いかもしれませんね、今日この頃。
「勇気なんて無駄だね」と考えている人にはこう言いましょう。
「死ぬまで死んだような精神で生きるのかい?」と。
「勇気なんて出ないよ」「勇気を出す機会なんてないよ」と言う人にはこう言いましょう。
あ、ちょっと待ってくださいね。どうやら「つづく」のようです。
タグ:アート
ネオアンガージュマン 東日本大震災後の日本社会 「二通りの説」 その1 [ネオアンガージュマン]
東日本大震災後の日本。
当然のことながら、数々の識者、学者、作家などが震災後の日本に関して予測、進むべき道などを論じているのを見かける。
それらは危急の要件である、被災地復興、福島原発問題が中心となっているが、さらに踏み込んで「今後の日本像」も当然語られているわけだ。
で、彼らが論ずる「今後の日本像」だけれど、大きく分けて二通りだ。
○日本社会は今後も変わらない。
(含、日本社会は今後も変える必要はない。日本社会は今後も変えることはできない。)
○日本社会はこれから変わる。
(含、日本社会はこらから変えねばならない。日本社会はこれから変えるべきである・変わるべきである。)
どちらの説も一流の論者によるものは読み応えたっぷり(笑)。
一流と一流の対決、どちらを選べばいいのかな??
つづく。
当然のことながら、数々の識者、学者、作家などが震災後の日本に関して予測、進むべき道などを論じているのを見かける。
それらは危急の要件である、被災地復興、福島原発問題が中心となっているが、さらに踏み込んで「今後の日本像」も当然語られているわけだ。
で、彼らが論ずる「今後の日本像」だけれど、大きく分けて二通りだ。
○日本社会は今後も変わらない。
(含、日本社会は今後も変える必要はない。日本社会は今後も変えることはできない。)
○日本社会はこれから変わる。
(含、日本社会はこらから変えねばならない。日本社会はこれから変えるべきである・変わるべきである。)
どちらの説も一流の論者によるものは読み応えたっぷり(笑)。
一流と一流の対決、どちらを選べばいいのかな??
つづく。
タグ:アート ネオアンガージュマン
ネオアンガージュマン 「言葉」から社会改革! 言葉と心 [ネオアンガージュマン]
日本人は「言葉」を失っている。
「言葉」を取り戻し、そして新たな「言葉」を獲得すれば、必ず日本社会はよき流れへと向かう。
(日本人は長い間「言葉」を軽視し続けてきました。本来はもっと「言葉」を大切にしてきた民族のはずだったんですが。)
例えば。
「一つの言葉」が一日を輝かせることもあれば、
「一つの言葉」が一日を腐らせることもある。
誰もが経験あるでしょう。
ある日、日本人の多くが「一つの言葉」で一日を輝かせることができれば、
ある日、日本人の多くが「一つの言葉」が一日を腐らせられたら、
この差はとてつもなく大きい。
この差が1年間集積すればどうなります?
「言葉」と「心」の密接な関係。
しかし「言葉」は「心」だけと関係しているわけではない。
愛 勇気 行動
想像と創造 闘い
「言葉」を取り戻し、そして新たな「言葉」を獲得すれば、必ず日本社会はよき流れへと向かう。
(日本人は長い間「言葉」を軽視し続けてきました。本来はもっと「言葉」を大切にしてきた民族のはずだったんですが。)
例えば。
「一つの言葉」が一日を輝かせることもあれば、
「一つの言葉」が一日を腐らせることもある。
誰もが経験あるでしょう。
ある日、日本人の多くが「一つの言葉」で一日を輝かせることができれば、
ある日、日本人の多くが「一つの言葉」が一日を腐らせられたら、
この差はとてつもなく大きい。
この差が1年間集積すればどうなります?
「言葉」と「心」の密接な関係。
しかし「言葉」は「心」だけと関係しているわけではない。
愛 勇気 行動
想像と創造 闘い
ネオアンガージュマン 「読み聞かせ」効果で社会改革! その1 父親も「読み聞かせ」 [ネオアンガージュマン]
「読み聞かせ」をさらにパワフルに捉える。
「読み聞かせ」。
まず「親が子に」読み聞かせをすること。
これは親であれば必ずやるべきことととらえたい。
やらなければ!
お母さんでもお父さんでも!
お父さんって、けっこう恥ずかしがる人いるんですよね、いろんなこと。
でもね、恥ずかしがっていてはいけません。
子供が成長してからのコミュニケーションも考えれば、まずは「読み聞かせ」で関係性を築いておくべきです。
「読み聞かせ」。
まず「親が子に」読み聞かせをすること。
これは親であれば必ずやるべきことととらえたい。
やらなければ!
お母さんでもお父さんでも!
お父さんって、けっこう恥ずかしがる人いるんですよね、いろんなこと。
でもね、恥ずかしがっていてはいけません。
子供が成長してからのコミュニケーションも考えれば、まずは「読み聞かせ」で関係性を築いておくべきです。
ネオアンガージュマン 「観なければいい」という言い方は正当か? 高岡蒼甫のツイッター問題、ふかわりょう、田村淳、(ロンドンブーツ)、茂木健一郎らの発言に関して。 [ネオアンガージュマン]
高岡蒼甫のツイッターによるフジテレビ批判、続くふかわりょうの「テレビは終わった」発言、それらに批判的な田村淳、(ロンドンブーツ)、茂木健一郎、江川紹子の発言など、盛り上がってるというかなんというか・・。
高岡蒼甫によるフジテレビ批判の中心は「韓流番組を放送しすぎ」という点にあるようだけれど、わたしは「韓流」というよりも、テレビ番組のあらゆる「中身」「姿勢」が問われるべきだとは思う。
ただ、ここでは高岡発言とその影響を受けた、田村淳、茂木健一郎らの「嫌なら観なければいい」という意味の反論に対してひと言書きたい。
テレビ関係者は、番組内容を批判されると伝家の宝刀のように「嫌なら観なければいい」というフレーズを遣うのである。
わたしもローカル局の人間から実際にこの言葉を聞いた。
しかし・・。
テレビというものの持つ公共性や影響力を考えると、「嫌なら観なければいい」という言い方はいかにも傲慢で無責任であるように聞こえる。
愛 勇気 行動
高岡蒼甫によるフジテレビ批判の中心は「韓流番組を放送しすぎ」という点にあるようだけれど、わたしは「韓流」というよりも、テレビ番組のあらゆる「中身」「姿勢」が問われるべきだとは思う。
ただ、ここでは高岡発言とその影響を受けた、田村淳、茂木健一郎らの「嫌なら観なければいい」という意味の反論に対してひと言書きたい。
テレビ関係者は、番組内容を批判されると伝家の宝刀のように「嫌なら観なければいい」というフレーズを遣うのである。
わたしもローカル局の人間から実際にこの言葉を聞いた。
しかし・・。
テレビというものの持つ公共性や影響力を考えると、「嫌なら観なければいい」という言い方はいかにも傲慢で無責任であるように聞こえる。
愛 勇気 行動