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吉高由里子が闘っているという理由 女優意識と美しさ 吉高由里子篇 [吉高由里子]

北川景子は闘っている。しかも自覚的に最前線で。
戸田恵梨香も闘っているが、どこで闘っているかはっきりと見えていない。
吉高由里子は・・吉高由里子自体が闘いであり、吉高由里子のいる場所は自然と戦場になる。
何を馬鹿なと思う人もいるだろう。
けれど吉高由里子の目は生まれ持っての戦士、
世の虚飾に惑わされることのない、本質を見極める目だ。
今の世界で本質を見極めるというのは、つまり意識せずとも常に闘っている状態であるということ。
そこに吉高由里子がいるというだけで前線となる。

それは虚飾を許さないという戦いでもあり、
「本当の美とは何かという」戦いでもある。

吉高由里子の不思議なところは、
闘いとは普通苦しいものだ、
けれど彼女は実に軽々と闘っているように見える。
もちろん軽々ではないのだろう。
しかしそう見えるのが吉高由里子凄いところだ。

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コメント 4

ton

確かに、吉高由里子は闘っていると思います。
以前も参加したと言った「蛇にピアス」の舞台あいさつのときには、どこか挑戦的な目つきで私たちを見ていました。自分たちで作った作品を、お客さんに渡すという最後の作業ですが、媚びることもなく、「あんたたちに何が分かるの?」という目をしていました。「ありがとうございます」ともちろん笑顔であいさつしてはくれるものの、その裏では、作品を作っている「現場」の魂というか、そういうものを大切にしているというのが伝わってきたのです。「職人気質」なところを感じることができました。
そういった意味で、彼女は闘って闘って、お芝居していると思います。だけどそれはこちらには伝わってこないんですよね。感性で闘っているというか、感性が闘っているというか。
ルコさんの文を読んでいて、より感じました。
by ton (2009-06-16 09:51) 

末尾ルコ(アルベール)

いつも貴重なお話ありがとうございます。
>挑戦的な目
その目・・ですよね、吉高由里子の本質は。
その本質をずっと失わないようにしてほしいと思います。
「闘っているんだ」ということを意識的に表現しなくても、そこにいるだけで「闘い」であるという人間もいるんだと思います。吉高由里子はそんな貴重なタイプの一人でしょう。クリエイターの側もそうしたことを感知できるからこその、「蛇にピアス」「転々」「トンスラ」なのだと思います。

でも「闘っている」人でないと魅力ありませんよね!

                         末尾ルコ(アルベール)
by 末尾ルコ(アルベール) (2009-06-16 16:40) 

0

ご本人がここを覗いたらなんておっしゃるのでしょうね。
おそらく爆笑するかと。
ここまで惚れこまれると女優冥利に尽きますね。
吉高由里子、今後益々のご活躍を期待しています。
by 0 (2009-06-18 10:06) 

末尾ルコ(アルベール)

0様

コメントありがとうございます。
爆笑・・そうかもしれませんね。
けれどその中に爆笑以外のものもあるだろうと。
表面と内部、内部と表面・・人間は一様ではありません。

「日常」の言葉だけで何もかも語ると、「日常」はさらにつまらなくなります。

これからもよろしくお願いします。

                          末尾ルコ(アルベール)
by 末尾ルコ(アルベール) (2009-06-18 11:49) 

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