「言葉」による革命 高知(土佐)薊野より全国、世界へ 「国民総幸福量」を持ち出すことに対する違和感 [「言葉」による革命]
日本が、あるいは高知が「国民総幸福量」とういうコンセプトを持ち出して来たことに対する違和感の一つ。
ブータンが世界にアピールしている「国民総幸福量」のコンセプトの中身とは別の次元での違和感がある。
まあ簡単に言えば、今この時点で「国民総幸福量」を言いだす「セコさ」ですね。
つまりブータン国王夫妻が来日して好評だった。
そのブータンが「国民総幸福量」というコンセプトで世界にアピールしている。
「お!これいけるじゃん、いただいちゃえ!」というような感じを受けるんですね、日本人の「にわか国民総幸福量」論って。
「足が地についてない」「尻馬に乗る」などというフレーズがピッタリのような。
ちょっときつい表現ですが、日本って万事そんなところがあるでしょう。
まず問われなければならないのは、「幸福とは何か?」という点であり、「日本(高知)人にはこれだけ幸福でいっぱいなんですよ」なんていうアピールをすることではないはず。
「幸福とは何か?」・・・「幸福論」とでも言うべき根本的問いかけを真摯に続けて行かなければ。
ブータンが世界にアピールしている「国民総幸福量」のコンセプトの中身とは別の次元での違和感がある。
まあ簡単に言えば、今この時点で「国民総幸福量」を言いだす「セコさ」ですね。
つまりブータン国王夫妻が来日して好評だった。
そのブータンが「国民総幸福量」というコンセプトで世界にアピールしている。
「お!これいけるじゃん、いただいちゃえ!」というような感じを受けるんですね、日本人の「にわか国民総幸福量」論って。
「足が地についてない」「尻馬に乗る」などというフレーズがピッタリのような。
ちょっときつい表現ですが、日本って万事そんなところがあるでしょう。
まず問われなければならないのは、「幸福とは何か?」という点であり、「日本(高知)人にはこれだけ幸福でいっぱいなんですよ」なんていうアピールをすることではないはず。
「幸福とは何か?」・・・「幸福論」とでも言うべき根本的問いかけを真摯に続けて行かなければ。
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