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●「画になる」というスターとしての重大問題。プロレスラー篇」その1 [「言葉」による革命]

●「画になる」というスターとしての重大問題。プロレスラー篇」その1

末尾ルコ「プロレスで知性と感性を鍛えるレッスン」

「人に自らの顔や身体を見せる」ことが重要なパフォーマンスの一部である「仕事」あるいは「表現活動」と言ってもいいけれど、例えば、俳優はそうであるし、バレエダンサーはその最たるものの一つだし、プロスポーツの選手も同様なのですね。
スポーツの世界は実力や実績が第一だけれど、それだけでは多くの観客を呼べる要素にはならない場合が多いのです。
そこで「スター性」あるいは「オーラ」がより多くの人々を惹きつける大きな要素になるのだけれど、ただ単に「顔がいい・スタイルがいい」とはまったく違うものであり、テニシス選手であればコートに現れただけで、グーッと観客の目を釘付けにする人、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、セリーナ・ウィリアムズ、マリア・シャラポワらが「真のスーパースター」なのであって、いずれの人も本当に「画になる」存在なのですね。
そこでプロレス界に目を転じると、何と言っても、最盛期のジャイアント馬場とアントニオ猪木。
この二人は別格的に「画になる」存在でした。
ジャンボ鶴田が飛び抜けた身体能力や才能を持っていたのになかなか「本当のスター」になれなかったのは、本人の「やる気」もさることながら、何とも「画にならない」タイプだったことも大きいですね。
ただ、イメージを変えると途端に「画になる」というケースもあり、最近では内藤哲也、かつてであれば、長州力もそれに当たります。(つづく)

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いっぷく

「日本プロレス事件史 Vol.12団体の"誕生、消滅、再生"」を読んでいるのですが、新日本プロレスを作ったばかりの頃の話が出ていています。
猪木は柴田勝久とばかり組んで、山本小鉄と組む試合が少なかったことについて、山本小鉄によると、ビジュアル的に猪木は山本小鉄よりも太ももなど見劣りがするので組まなかったという話をしています。まあ小鉄のジョークだとは思いますが、本気だとしたら、勘違いではないかと思います。
たしかに当時の山本小鉄は、星野勘太郎もそうでしたが豆タンクというか、体はモリモリしていたことは確かです。すごいなと思いました。でもまあしょせん170センチかそこらの身長ですし、何よりプロレスラーとして「画になる」というのは、ボディビルダーのような体にすることとは違うと思うのです。
私は日本プロレスから、70年代の猪木というのは「画になる」存在だったと思います。
もっとも猪木は何かと気後れとかコンプレックスを感じやすい人らしいので、観客の側は別として、猪木自身の本音は本当に小鉄の言うとおりだったのかもしれませんが。
by いっぷく (2017-01-24 05:13) 

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