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末尾ルコ詩D「猫、重さを愛でる」篇。『あの日 あの時 愛の記憶』という、命懸けの恋と人生を描いた美しい映画について。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「猫、重さを愛でる」篇。

「猫、重さを愛でる」

この重さを
愛でるように
しよう
この重さを
避けるのではなく
愛でてみる

・・・・・・

最上の愛は、
ぼくの素敵なネコのために!

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです)

●『あの日 あの時 愛の記憶』という、命懸けの恋と人生を描いた美しい映画について。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

『あの日 あの時 愛の記憶』の美しさ、それは映画ならではの魅惑的な表現を駆使した映画そのものだからに他ならない。
アウシュビッツで出会い、恋に落ちた男女。
男は女の命を助けるために、命懸けの作戦を決行する。
しかし時代は二人がそのまま手を取り合って生きることを許さなかった。
お互いを「死んだ」と信じ込まされた二人。
ところが30数年後、女は「生きている男」を目撃する。
映画としては、「ポーランド時代のシーン」と「70年代のシーン」が前者を中心ながら交互に訪れるのだが、後者のシーンが説明的になっているのが小さな弱点ではある。

『あの日 あの時 愛の記憶』の「ポーランド時代のシーン」ときたら、まるで「映画の美の原点」。
あるいはわたしが高知にまだ存在していた名画座で一日に何本も映画を観ていた時代、その時に、痛んだフィルムによって「雨」の降り続くスクリーンに映写された「映画ならではのシーン」が連打される。
その幸福感。
実話の映画化である『あの日 あの時 愛の記憶』であっても、映画的快楽無しでは「優れた映画」とは言えない。
『あの日 あの時 愛の記憶』の「ポーランド時代」のシーンたちは、その映画的快楽に満ちているのである。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

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