SSブログ

末尾ルコ詩D「怒り」篇。末尾ルコ「魅力的な広瀬すずと松岡茉優の対決を生かし切れなかった『ちはやふる 下の句』の欠点とは」。 [吉高由里子]

★「末尾ルコ 革命広場」/〈「言葉」による革命・「美」による革命〉[ハート]

★ 「言葉」で「あなた」はもっと強くなれる。
★ 「あなた」が強くなることで、「日本」はもっと強くなる。
高知から日本の隅々まで、末尾ルコ〈「言葉」による革命〉で、あなた自身があなたの住んでいる場所で「革命戦士の一人」に!

[スペード]現在実験的にブログをつついています。
? その一環としてブログテーマや順位は表示しておりません。

●末尾ルコ詩D「怒り」篇。

「怒り」

「怒り」は
うねる
時に引いては
反す
「怒り」はそう
時に
引いては
反す

(毎日、「末尾ルコ詩D」を書いてみましょう!わたしの創ったものを写すのではなく、ご自分で創ってみるのです。)

●末尾ルコ「魅力的な広瀬すずと松岡茉優の対決を生かし切れなかった『ちはやふる 下の句』の欠点とは」。

末尾ルコ「映画で知性と感性を鍛えるレッスン」

主演映画女優としての力を明確に認識させたのが『ちはやふる 上の句・下の句』だが、「惜しい映画」となっている。特に「カルタ取りのクイーン」として登場する松岡茉優がとてもいいだけに、(これならば、もっとずっとおもしろくなっていたのに)と残念ではあった。ただこの場合、「わたしにとっておもしろい」であって、それが「世間の皆さんにとってもおもしろい」とはいかないことは重々承知しているけれど、少なくとも「昨今の日本の世間の皆さん」よりは「わたしのとって」の基準の方が遥かに作品のクオリティは上がるというほどの確信はある。
『ちはやふる 下の句』の不満点は、結局「仲間がいれば最高」という『少年ジャンプ』的価値観に話を落とし込んでしまったことであり、そうなるとせっかく魅力的に創られた「広瀬すずVS松岡茉優」に対立がぼやけてしまうのだ。もっとも「仲間」というパターンは昨今日本だけでなく、現在ハリウッド映画最大のプロジェクトの一つである『アベンジャーズ』シリーズも似たような構造を持っており、そうなると「個々の美」がなかなか浮き上がってこない。

●原稿依頼などは、気軽にサイドバーのアドレスへご連絡を!

nice!(6)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0