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●「禿げ頭」とプロレス、キラー・カール・コックスと「白人至上主義」の関係。 [「言葉」による革命]

●「禿げ頭」とプロレス、キラー・カール・コックスと「白人至上主義」の関係。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

わたしは現在まで禿げてないが、10代の頃には(ひょっとして将来禿げたら・・・)と恐怖に襲われることがあった。
既に『お昼のワイドショー』の「あなたの知らない世界」ごときでは恐怖しなくなった年代であり、つまりかなりのタフガイと化していたわけだが、それでも(将来的禿頭化の可能性)は大きな恐怖だった。
もちろんそれは、未熟な10代の少年の意識の話だが。
「禿げる原因」については遺伝を含めて様々な説が立てられてきたが、決定的なものはいまだないのだと思う。
環境や食生活は極めて重要な要素だと思うが、それにしても決定的ではないだろう。
いかに健康的な環境や食生活を実践したところで、禿げる人は禿げるという事実は世の中のそこここに見られるものだ。
しかし健康的な環境や食生活が、一般論としては「禿げることを防ぐ可能性を高める」のは間違いないところだと思う。

ここでまたもやプロレスの話題に移るのもどうかと思うが、この前「ロン毛のプロレスラー」についていささか述べたけれど、逆に「髪が薄い」あるいは「髪が無い」場合、キャラクターが大きな意味を持つプロレスラの世界では「売り込み方」がかなり狭い枠に嵌められることになる。
一般的に言って、「迫力」とか「カッコよさ」などが求められるプロレスラーとしては、耳の傍から後頭部の下部にのみ髪が残っているというスタイルは避けたがるものであり、そうなるくらいなら「すべて剃り上げる」という方法を選ぶレスラーが大半だ。
プロレスラーだけでなく、MLB(メジャーリーグベースボール)でも、若くして髪が薄くなっている人がけっこういるのだが、すべて剃り上げている選手が少なからず見られる。
だからプロレスの歴史の中で、「耳の傍から後頭部の下部にのみ髪が残っているスタイル」でスターレスラーだったケースは稀なのだが、しかしすぐ思い出す選手が二人いる。
バーン・ガニアと
キラー・カール・コックスだ。

例えばドリー・ファンク・ジュニアも若い頃から髪の毛が薄かったが、プロレスファンならよく知る通り、前頭部に多少ながら髪が残っていた。
その前頭部の髪があると無いとでは印象が大違いで、ドリー・ファンク・ジュニアはかなり禿げていながら、「老けた」印象は長い間なかったのである。
バーン・ガニアの場合はプロレスラーとして、プロモーターとしての確固たる自信が「自然な頭」でファイトし続ける要因ではないかと想像する。
そしておもしろいのはキラー・カール・コックスで、「KKK」というイニシャルを冠した稀代の悪役レスラーが「耳の傍から後頭部の下部にのみ髪が残っているスタイル」にしていることで、「いかにも米国南部にいそうな白人至上主義の中年男」という狂気じみた雰囲気を醸し出していた。
もちろんキラー・カール・コックスが本当に白人至上主義であるとかないとかいう問題ではなく、「本当に危険な男」に見えていたことが重要なのだ。
まあこのご時世、「白人至上主義者」などというギミックも今後は無理になるだろうが。

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いっぷく

高校の時、ハゲるならバーン・ガニアのようなハゲ方がいいといっていた級友がいましたが、私はそうか?と思いましたね(笑)波平カットは若く見えませんから、やはり一介のレスラーではなく、AWAのオーナーなんだな。だからこんなに長くタイトルを持っていられるんだな、なんて思いましたけどね。そういう意味では、レスラーとしては損だったかもしれません。
コックスは、スキンヘッドにして、マーフィーやバーナードのような「冷血暴走」キャラにまで自分を持っていく気はなかったのかもしれません。
この画像見えますか。
http://xn--zckzczcd7076bwdw.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_97b/xn--zckzczcd7076bwdw/m_kokkusu.png
私が好きなコックスの画像の一つです。
ハゲを隠すと、ドリーもコックスも同じに見えてしまいます。
タイツの色も違いますが、本来コックスはこういう陽気なキャラを持っていたらしく、黒いタイツでニコリともせず凶器を使ってずるい試合をするのは、日本用の悪役キャラクターだったようですね。

何も知らない子供の頃は、馬場対コックス戦で、コックスがすぐに凶器を使うので、コックスは悪いやつだという思いが当然ありました。
馬場と猪木が最後まで争った第13回ワールドリーグ戦では、コックスが「俺は猪木が優勝すると思う」といい、ブッチャーが「俺は馬場だ」と言って喧嘩になり、デストロイヤーが仲裁するという記事が東スポに出て、しかも開幕戦で、コックスはまたずるい手を使って馬場に勝ってしまったので、「やっぱりこいつは馬場の敵なんだ」と大いに憤慨したのです(笑)
ところが、優勝戦で、馬場がブッチャーを破り優勝して、徳光のインタビューを受けている時、デストロイヤーとコックスが馬場に握手を求めにきたのですが、デストロイヤーの時は怖い顔をしていた馬場が、コックスに何か声をかけられて、ニコッと心を許すような笑いを一瞬したのです(今もYoutubeに残っています。)
「おや、これはどうしたことだ」と子供心に疑問が生じ、その後全日本ができてからも、コックスは新日本ではなく全日本に来るようになり、相変わらず凶器攻撃されても、馬場は「コックスは相変わらずだなあ」などと、何かコックスの凶悪ファイトを喜んでいるフシがあり、ますますわからなくなってしまったのです。
その後、プロレス雑誌のインタビューで、コックスがマードックと血だらけの試合をしたことについて、新日本との興行戦争があったため、「猪木のグループに行ったファンを後悔させる」と答えているので、そうか、馬場の敵というのは、そう見せかけているだけだったのだと、その時初めて気が付きました。
ジャイアント馬場とは、信頼関係がきちんとできていた試合だったことも本人は語っていますね。
馬場がコックスを相変わらずと言っていたのは、馬場とレイスの試合のような様式美を楽しんでいたのかもしれません。
by いっぷく (2017-08-22 01:21) 

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