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●内藤哲也が「贅沢な時間」と自分で言う「謎」と、アントニオ猪木VSグレート・アントニオの「謎」とは? [「言葉」による革命]

●内藤哲也が「贅沢な時間」と自分で言う「謎」と、アントニオ猪木VSグレート・アントニオの「謎」とは?

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

『ワールドプロレスリング』で2017年1月東京ドームの内藤哲也VS棚橋弘至を放送した時、この番組はレスラーのインタヴューをある程度の時間を取って聴かせるのだけれど、内藤の談話の中に、

「それがプロレスファンにとっての贅沢な時間」的な物言いがあって、

この場合の内藤の言う「贅沢な時間」とは、件の試合で内藤が棚橋を下した後、ずっとマット上で大の字になっている棚橋に対して内藤が一礼をしたわけだが、

「その一礼の意味を想像する時間」が

「プロレスファンにとって贅沢な時間」

なのだそうだ。

(あれ、そんなこと自分で言っちゃうのね)とまず苦笑したが、猪木も晩年は言わずもがなのことをちょいちょい言ってたなというのはある。
しかしそれ以前に、「棚橋に対する一礼」が「謎」というのはいかにもショボく、ひょっとしたら内藤哲也なりに、まったく謎が生まれない現在のプロレスの中で、(少しでも)という気持ちもあったのかもしれないとも思ったけれど、昭和のプロレスはまったく謎だらけだった。
プロレスファンは常に「誰が一番強いのか」という「謎」に対する問いかけを発していたし、試合展開も選手の離合集散も「謎」で一杯で辟易するほどだった。

そんな「謎」の頂点に君臨していたのがアントニオ猪木ったわけだが、猪木の「謎試合」の一つとして燦然と輝いているのが1977年12月の対グレート・アントニオ戦で、現在ではリング外でも勘違いぶりを発揮し続けるグレート・アントニオをリング上で合法的に制裁したという意見が大方である。
それにしても試合開始後しばらくは「普通のプロレス」をするような展開だったが、猪木がグレート・アントニオの足を取って倒してからは、顔面踏み付けだけでなく、思いっ切り蹴り上げていた。
言うまでもなくその攻撃はプロレスの範疇を超えたもので、こうした試合がゴールデンタイムに堂々と放送されていた事実自体が「謎」である。
しかし試合を観ながらわたしはもう一つの「謎」に突き当たっていたのだ。
グレート・アントニオと言えば、日本プロレス時代に「バス3台」を引っ張るパフォーマンスで日本国民を驚愕させた伝説が残っているが、猪木戦を見る限り、さほど大きくないのである。
年取って肉が落ちていたというのもあるかもしれないが、それにしても「大きさ」を感じない。
で、思ったのが、
(この体でバス3台を動かせたのか?)という疑問に加え、
(グレート・アントニオにできたのなら、他の多くのレスラーにもできたのでは・・・)とまあ、

内藤哲也君、もっとワクワクする「謎」を作ってくださいね、だ。


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いっぷく

お辞儀して謎なら、敬礼している永田は謎だらけですね。
あと、すぐトラブルを起こすケンドー・カシンとか。
いわゆるアングルでない仲間割れなどはみんな謎です。

私が今も解決しない謎は、馬場の付き人出身で馬場派の大熊元司が、第11回ワールドリーグ戦のときは猪木と行動をともにして、猪木が優勝したときも、北沢幹之というゴリゴリの猪木派の先輩を差し置いて、星野勘太郎と2人で猪木を担いでいたのはなぜか、とか。←その後はまた馬場派に戻ってるし
http://fromsite.info/sengoshigazou/11wriigi.jpg

馬場が全日本プロレスを旗揚げするとき、どうして坂口征二を誘わなかったのかとか。

別に今、真相がわかったからといって、どうということない話ですが、明らかになることで、レスラーの評価やプロレス史の解釈が変わってくることはあります。

>(グレート・アントニオにできたのなら、他の多くのレスラーにもできたのでは・・・
そうかもしれませんね。バス3台で、しかも人が乗っていたわけですから、当然、動く仕掛けがあったことはすでに明らかになっています。具体的にどういう仕掛けだったのかはわかりませんが。
そこまで演出して第3回ワールドリーグは空前の人気で行き先々で会場は満員だったのに、カール・ゴッチがアントニオを生意気だとKO寸前まで痛めつけてしまったから、力道山が成敗するというストーリーがおじゃんになりかけて、怒った力道山が2度とゴッチを呼ばなかったんでしたね。
力道山の怒りはもっともだと思います。
でもとにかくアントニオは力道山に成敗されて帰国し、アントニオは化けの皮が剥がれたわけです。
なのにそこから15年もたってから、猪木がまた呼んで鼻の骨を折るほど痛めつけるというのは、そこに何の意義も必然性もなかったですね。
おそらく片ガチで、アントニオには事前にアントニオに何も言わずにいたぶったのでしょうね。
グレート・アントニオというのは、自分の立場もわからずすぐ浮かれてしまう、ちょっと考えの足りない奴だったと思うのです。
最初の来日のときもそうで、それで舞い上がってしまい、15年たって昔のいいことだけ思い出し、また日本に行ったら同じように扱ってくれるかもしれないと、売り込んできたのだと思います。
猪木が一方的にヤッてしまったのは、プロレスができないだけでなく、報酬の要求がえげつなかったり、売り込みの時の宣伝通りにできなかったりしたことで、途中帰国させてギャラを値切りたかったのでしょう。
新日本はそれをよくやっていたらしいですから。ザ・シークも新日本に来たとき途中帰国したことがありますよね。

by いっぷく (2017-09-26 01:55) 

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