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●演歌史上最高に「かわいい」かもしれない丘みどりはブログでいかに魂の叫びを表現しているか。 [「言葉」による革命]

●演歌史上最高に「かわいい」かもしれない丘みどりはブログでいかに魂の叫びを表現しているか。

末尾ルコ「音楽の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

前回お話した、「ブログが心の支えの一つ」となっている芸能人の一人が、丘みどりだ。

丘みどりは若くしてデビューしたが10年以上鳴かず飛ばすの雌伏の時期があり、今はかなりの売れっ子になっているが、それでも連日のようにキャンペーンで全国を駆けずり回っている。
そんな毎日を丘みどりはブログで感謝と共に綴っているけれど、その日々の過酷さ、そして過去のまったく売れなかった時期の不安感、絶望感を時に行間から漂わせ、時に直接表現している。

丘みどりのオフィシャルブログに2017年10月22日 20時14分04秒にアップされた記事(https://ameblo.jp/oka-midori/entry-12321899894.html)にも端的にその思いが表れている。

「諦めなくてよかった。」と題されている記事だ。
その中に次のような言葉がある。

・・・・・・

「こんな惨めな思い、こんな悔しい思い

いつかきっと笑って話せる日が来ると」

・・・・・・

売れない演歌歌手がどんな「惨めな」、どんな「悔しい」思いをするか、演歌歌手ではもちろんなく、演歌歌手になろうと考えたことももちろんないわたしにも想像はつく。
ことに丘みどりは、YouTubeなどでも動画を視聴できるけれど、デビューして間もない頃は露出度の非常に高いギラギラ光沢のミニスカ姿で演歌を歌うという奇態な方法で売り出されていた。
そのようなスタイルで演歌を歌う無名の若手歌手が、キャンペーンなどで行く先々でどのような目で見られるか、態度を取られるか、それは誰でも十分想像できるだろう。

丘みどりの素晴らしさ、そしてもちろん一人のパフォーマーとしての至らなさもまだまだあるけれど、素晴らしさが至らなさを大きく上回っている。
例えばかつて小林幸子が「苦節15年」をキャッチフレーズのように使っていたのとは大きく違い、丘みどりにも10年以上の「苦節」があるのだけれど、ファンの前ではあくまでいつもにこやかな「みどりちゃん」であり、30を超えているのにその若々しさ、愛らしさは演歌史上でも稀な存在なのである。
(小林幸子のプロフィールを見たら、「苦節15年」の期間の苦闘ぶりは確かにすごいと思うけれど、しかし演歌歌手の大部分は「苦節」だけの人生で、日の目を見ずに終わるものであるのも事実なのだ)

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いっぷく

>「こんな惨めな思い、こんな悔しい思い
>いつかきっと笑って話せる日が来ると」

これはすごいですね。
私なら、どんなに成功しても、そのときの悔しさは悔しく思うだろうなと思うのですが、まあそう思っているうちは、そもそも「成功」自体訪れないのでしょう。
ちょっと私も考え方を変えなければならないかもしれません。

>なんて幸せなんだろう。

たとえば、私はこれはなかなか書けないと思うんですね。
「幸せ」と思ったら、潮目がかわってとんでもない不幸になるんじャないかと思ってしまい、いつも自分の気持ちを緩めないようにしているのです。
結構私も苦節人生なのかな。

よく感謝の気持ちをもてといいますよね。それはわからないでもないですが、でも感謝しますとは表明できないのです。
感謝するということは、いい思いをさせてもらっているということの表明ですから、自分の心に緩みができるような気がしてしまうのです。萩本欽一流に言うと、そんなこといったら運の神様が「いい思いしてるんなら、少し運を返せ」といって運を取り上げてしまうという感じかな。
まあそういう神様を信仰しているわけではないですが、勝って兜の緒を締める感覚ですね。

>それにしても馬場はとても複雑な人間性を持つ人だったのですね。

まあ総合すると「普通の人」だったのかなあと。
人に対して不寛容で用心深い点は、約束事を守る律儀さでバランスを取り、
普段金銭にシビアなところは、遅配欠配せず儲かった時はボーナスを出すことで埋め合わせる。
渕正信クラスでも、四天王プロレスで年7回武道館をやっていた頃は、札束がたつボーナスを3回(計500万)もらっていたそうです。
ただし、秋山準がローンを組みたいので固定給にと言っても、試合給のままだったそうです。
自分をないがしろにしたり裏切ったりした人は絶対に許さないけれど、ついてきた人には誠意を見せる。
プライドが高く失言に厳しい割には、カブキは「馬場猪木大木の中で一番話しやすい人だった」という証言もあります。

馬場といえば、巨人時代2軍で3回最優秀をとったというプロフィールについて、当時はイースタンリーグはなかったからそんなのでっち上げだという意見があるのですが、当時は2軍は独立採算制で、あっちこっち地方球場を回ってノンプロなどいろいろなチームと試合をして稼いでいたらしいのです。
そのときのエースが馬場で、おそらく最優秀と言うのはリーグ機構ではなく球団内の表彰だと思うのですが、馬場が2軍を食わせていたのはたしかで、馬場が巨人時代を誇るのは、巨人ブランドそれ自体もあると思うのですが、自分がエースで天下の巨人を食わせていたという自負があるのかもしれません。
ですから、巨人時代の蹉跌とは1軍に上がれなかった挫折というより、自分がエースとして食わせてやっていたのに、ナインの嫉妬があったという理不尽さで、それが他人に対する不寛容さと、一方で歓待したり誠意を尽くしたりする人あしらいのという両方のベクトルを学んだのかもしれません。
by いっぷく (2017-11-01 03:11) 

ぽちの輔

ちょっと前にTVで見ました。
演歌歌手というよりアイドルみたいな衣装で
とってもかわいかったです^^
by ぽちの輔 (2017-11-01 07:02) 

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