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●ケヴィン・スペイシー、スティ―ヴン・セガールらが行った卑劣なセクハラは許せないが、だからと言って、「作品」まで否定していいのか? [「言葉」による革命]

●ケヴィン・スペイシー、スティ―ヴン・セガールらが行った卑劣なセクハラは許せないが、だからと言って、「作品」まで否定していいのか?

末尾ルコ「世界情勢の話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

オスカー2度受賞のケヴィン・スペイシーは、いずれその輝かしい俳優としてのキャリアはそっちのけで、「薄汚いセクハラ男」として語られることになるのだろうか。
既にもうかなりそんな様相を呈している。

セクシャルハラスメントは憎むべき行いであり、断罪されてしかるべきであり、そして長年声を上げることさえできなかった女性たちの怒りが湧きたったマグマの噴火のように爆発しているのも分かる。
しかしだからといって、そのような卑劣な行いをした俳優などが関わってきた作品やその飛び抜けたパフォーマンスまで否定できるのか?
わたしはそれは、「違う」と思うし、「表現者たちの過去の悪い行いの断罪=その人たちが関わった作品の否定」が当然ということになれば、映画界だけでなく、芸術の世界、男性の創造してきたほとんどの作品が否定されかねない世界が到来してしまうと懸念している。

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コメント 1

hana2017

ケヴィン・スペイシーと言えば、オスカー受賞作「アメリカンビューティ」で演じた、娘の友人に惚れて厭らしい妄想の世界にひたるオヤジ役は、演技とは思えない程ハマっていた。
随分前に観たアメリカの「アクターズ・ スタジオ」インタビューで←この番組はNHKで何度か見ましたけれど、毎回興味深くて見応えがありました。
ところでケビン、他の有名俳優のモノマネや、学生たちと渡り合う姿もカッコ良くて、才能のある人ってやはり違うと思ったものでしたが。。
彼を初めて知ったのは、深夜に放送された「ユージュアル・サスペクツ」を偶々観たのがきっかけでした。
小心な下っ端のチンピラと見せておいて、ラストにガラッと変身する役どころ。脚本の面白さと彼の演技に見事やられました!ガブリエル・バーンや、ベニチオ・デル・トロを完全に喰ってしまった感じでした。
性被害を受けた側にしてみれば、忘れるどころか、一生逃れられない不快極まりない記憶となる。そうした経験からその後の生き方さえ影響を受けるものなのに・・・相手の男が平気な顔で、平穏に過ごしていたら許せないのは当然です。
わかってはいてもバカな行為が止められない、これも人間と言う事なんでしょうか。

by hana2017 (2017-11-25 22:02) 

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