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●「最高におもしろい(エキサイティングな)プロレスとは何か?」~初めて観たブッチャーが、16文キックで倒れなかった映像。 [「言葉」による革命]

●「最高におもしろい(エキサイティングな)プロレスとは何か?」~初めて観たブッチャーが、16文キックで倒れなかった映像。

末尾ルコ「プロレスの話題で、知性と感性を鍛えるレッスン」

全日本プロレスが設立されてからかなり経ってからプロレスファンになったわたしにとって、プロレス本からの知識として知っているレスラー、知識として知っている技などは数多くあっても、実際には動く映像として観たことないものが多く、「凄く観たい→でも観る術がない」という状態はひたすら憧れと飢餓感を募らせる精神状態を生んだものだ。
実際は、「憧れのレスラー、憧れの技」などはとうにロートル化していたのが実情なのだけれど、プロレスメディアはそう簡単には、「このレスラーもすっかり衰えましたねえ~」などとは言わないものだから、高知在住の情弱プロレス少年だったわたしは、「もう来ぬ人を待ち続ける」という演歌の歌詞のような状態だったと、今となってはよく分かる。
それにしても、「プロレスが一番おもしろかった・エキサイティングだったのはいつだろう」という問いに対して、もちろん「今のプロレス」が好きな人たちは、「今」と答えるのだろうけれど、わたしはもちろんそうは答えない。
一番(おもしろい!)と感じたのは、初めてのテレビ観戦の時かもしれない。
放送カードは覚えてないが、(世の中に、これほどまでにおもしろいものがあったのか!)と興奮した記憶は鮮明だ。
しかしその後どんな試合を観て、どのような感想を持ったかと言えば・・・そうそう、やはり『オープン選手権』は盛り上がった。
あ、それと、アブドーラ・ザ・ブッチャーを初めて観た時。
「初めてのブッチャー」・・・そのどこに驚きのインパクトがあったのか?
答えはとてもシンプル。
「馬場の16文キックで倒れない!」のである。
普通どんな外国人レスラーでも馬場の16文キックでは吹っ飛びながら倒れるのである。
中でも70年代から80年代にかけての「最も優れたプロレスラー」の一人として米国のファンからもいまだ敬意を集めるハーリー・レイスの華麗な「16文倒れ」はいまだ語り継がれ続ける、時代の風物詩である。
しかしもちろんハーリー・レイスは超一流ランクであるから、16文一発でフォールされることはない。
16文一発でフォールされるのは概ね「雑魚レスラー」である。
メイン級のレスラーは16文一発でフォールされることはないが、ぶっ飛ばされながら倒れはする。
その「倒れ方」も全日本プロレスマットに登場するレスラーとしての重要なクオリティなのだが、ブッチャーは倒れないのである。
いや、決して「絶対倒れない」わけではない。
試合展開によっては倒れていた。
そして現在いくつかの動画を確認してみれば、けっこう倒れている(笑)。
しかしわたしにとって、初めてブッチャーの試合を観た時の、「16文で倒れなかった」その姿がとても重要なのである。
その鮮やかな映像が。

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いっぷく

アブドーラ・ザ・ブッチャーの初来日は、たしかただの「ザ・ブッチャー」と名乗っていて、同名のドン・ジャーデンがすでに来ていて馬場と引き分けていたので再来日を楽しみにしていたことから、「なんだ、あのブッチャーじゃないのか」とがっかりしたものです。ですからあまり期待していなかったのですが、試合を見ると、すててこのようなものをはいて、デブなのに動きが早く、外人なのに空手のポーズをとって、時々悲鳴のような声を上げ、「地獄突き」と呼ばれるようになった貫手技をサッと出してくるのが「これはおもしろい」と思わせましたね。
たしかインターはかけられなかったものの、シリーズ終盤で、東京球場で馬場とシングル初対決するまでにこぎつけています。それは当初は予定されていなかったカードなのに、ブッチャー人気がシリーズ経過とともに盛り上がって、急遽組まれたカードだったと記憶しています。
今だったら球場で興行なんかできないでしょうね。球場の内外野席はガラガラ。リングサイドの椅子席にチラホラ入る程度でしょう(新日本のドーム興行は、相当前から戦略をねってますね。)
そのシリーズは、カール・ハイジンガーという三流レスラーがエース格だったので、それもブッチャーに幸いしましたね。ブルクラとかサンマルチノとか来ていたら、東京球場のメインは取れなかったと思います。

個人的には日本プロレスのワールドリーグ戦が毎年盛り上がりました。
TBSの頃の国際プロレス中継は、勝った方にいちいち勝利者賞のトロフィーが渡されるのです。私は、草津や杉山の自宅はトロフィーだらけで大変だなと子供心に思いました。もちろん使いまわしですが、子どもは純粋なので額面通り受け止めるのです。
そして、タイトルも、TWWAタッグ、IWAタッグ、ヨーロッパタッグ、シングルも、TWWAはダニー・ホッジが来なくなったので自然消滅しましたが、IWA世界ヘビー、イギリス南部、イギリス西部、USAヘビーなど、乱立状態で、毎週タイトルマッチが行われていました。ゴングの音も大きかったし。
一方、日本プロレスは、勝ってもトロフィーはないし、タイトル戦はインターとアジアのシングルとタッグがシリーズ後半に行われるだけ。それだけタイトル戦や勝者に威厳はありましたが、毎週、普通の30分1本勝負と60分3本勝負が、たんたんと行われるだけで、わりと地味だったんですね。しかもゴングの音が、仏壇の「りん」をならしたようなか細い音で。
その日本プロレスが華やかになるのが、参加選手一同リングに上って、タスキをかけて土俵入りのように登場して花束をもらうワールドリーグ戦です。「勝つ」ことで優勝がかかっているので、リーグ戦はひとつの興行で1~2試合ですが、それらはもちろん、リーグ戦以外も「リーグ戦の前哨戦」とか自分で勝手に位置づけて熱くなっていました。「プロレスのオリンピック」とか、当時の宣伝もうまかったですね。
ずっと日本側が優勝しているのをおかしいと思わず、だからこそ今年は外人に優勝をさらわれるのではないか、と逆に不安になったりして(笑)
その呪縛から解放されたのは、第4回チャンピオンカーニバルで、アブドーラ・ザ・ブッチャーが初優勝したときですね。一応、優勝を外人にさらわれたことはショックでしたが(笑)これで来年からのリーグ戦鑑賞は少し楽になるかなと思ったものです。
by いっぷく (2018-03-23 03:10) 

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